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エコ~るど京大

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こんにちは、エコ~るど京大・白井亜美と申します。今回、このSDGsインタビューのテーマは「身近な多様性」です。幸か不幸か私たちは本当に一部しか世界を認識できません。だから考えも行動も「不十分ではないか?」という指摘から逃れることはできません。ですがそれでも「自分は一人前のひとりの人間だ」と思って、毎日生き、いろんなことを考えるのではないでしょうか。私たちもまだまだ未熟ですが、隣にいる人がどれくらい自分と異なる見方を持っているか、ここに少しでも触れていただけたら幸いです。

 

 

インタビュー日:2019年12月27日

回答者:上田知弥(京都大学工学部4回生/エコ~るど京大)

 

 

Q:Goal13「気候変動に具体的な対策を」の中で興味のあるテーマは何ですか?

 

環境問題を学びたいと思い大学受験をして、合格後に何かちょっと勉強してから大学に入ろうと思って手に取った本がたまたま温暖化懐疑論の本でした。それにIPCCの報告は情報操作をしておりグラフなどで温暖化が進んでいると見せかけているだけなどと書いてありました。最初は「ほんまか?」と思いましたが、それが嘘だという証拠も自分は知りませんでした。何が本当のことかわからないまま大学に入って授業を受けました。大学の授業では基本的に温暖化はあるというスタンスでした。印象的だったことは「CO2排出を今すぐ0にしても温度上昇が止まるまでにはタイムラグがある。しかも今でさえ平均気温が高く南極の氷が溶け始めている。溶ける状態の温度だから排出量が0になって温度上昇が止まったとしても気温は下がらず、異常気象や海水面上昇は止まらない。悪化はしないだけで前よりは悪くなった状態で高止まりする」ということです。それまでは排出量を0にして温暖化を止めれば(気候変動問題は)解決すると信じていた自分にとって衝撃的でした。

気候変動の解決はどこなのか?今増加している振れ幅を小さくしていくだけなのか、変わってしまったのを元に戻していくのか、とシンプルに疑問を抱いています。そうやって考えながら気になることを教えてもらえるかもしれないと思い、エコ~るどにも飛び込みました。

 

 

Q:SDGsが2030年までの目標達成を掲げていますが、この「気候変動の解決が見えない」問題は2030年へ向けてどうなっていくものだと想定していますか?

 

100%達成は無理だと思います。CO2が地球温暖化の原因だと仮定して話しますが、今の時点でCO2排出が削減されていない、努力はしていますがまだ足りていないですよね。(気候変動は)止まってほしいと思いますが、まだまだ気候が変動するポテンシャルがあるから少なくとも10年後という短期間では難しいのではないでしょうか。

 

 

Q:「気候変動の解決が見えない」問題に取り組むにあたって主体はどこにあると思いますか?

 

それは個々人全員ではないかなと思います。特定の誰かというわけでなく、地球に生きているという上では絶対にその地球の環境のなかで生きているわけだから一律に地球上に住む上では全員に干渉してくるのではないでしょうか。国の区別なく地球上に住む全員。どちらかというと例外が思いつかないですね。この話に関係ない人を考えてもすぐに思いつかない。自分も全員のうちの一人ではないかと思っています。

 

 

Q:上田さんはこのテーマに対してどのように向き合っていこうと考えていますか?

 

四六時中ずっと考えているというよりか、何かしら日常生活のなかで折に触れてそれをきっかけに今これどうなっているのかと考える、12月が暖かくていつもと違うなと思う、何かおかしいなと気づいて考えるのかなと思います。でも人にとっても気候変動の感じる幅が違っています。例えば、10年前と比べて夏が暑くなったとか紅葉が遅くなったとかいろいろ思うけど、それは自分の親の世代だったらもっと強く思うはずです。夏の気温で35度なんてありえないという状態からいまや40度が当たり前になっている、その人たちにとっては夏の気温が+5℃になったわけです。自分的には+3℃でしょうか。今生まれてきた人にとっては今しか知らないから、ずっと40℃がこの先続いたとしたらその人たちにとって気候変動してないということになるのでしょうか?その人たちにとって知っている範疇ではずっと気候は同じですよね。そう考えるとどれが正解ということもないと思うのでどう思うか、おのおのどこまで変えたらいいと思うかが違うと思います。

 

 

Q:そのテーマに向き合ったときに「SDGs」はどのように関わりそうですか?気候変動問題はSDGsが逓減されるずっと前から重要トピックとして扱われてきたわけですよね。

 

SDGsは割と遠いですね。最初SDGsを見て「地球温暖化」じゃなくて「気候変動」なのか、温暖化よりも大枠の気候変動の方が大事なのかと思いました。Goal13は数値込みの目標が書いてないし、ぼんやりと、ざっくりとしか書いてないのではないでしょうか。他のゴールの方が割と到達ゴールがはっきりしていると思います。気候変動はそれを達成したからからゴールではなくて最低限しなければならないことが書かれているという感じがします。他の番号のGoalが階段の頂上を表しているとするとGoal13は階段の一段目のような感じがします。「対策を講じる」であり「解決する」と書いてない

ただSDGsを見て今までぼんやりとみていたことがこういう問題になっているのだと知ることができたと思います。具体的にアクションを起こすかどうかは別にしてこういう問題があると知ったときに自分が興味を持たせてくれるきっかけになるのではないでしょうか。

 

 

Q:最後に、Goal13を一言でいうと何ですか?

 

「急ブレーキは、かけられない」

 

気候の変化をどこまで感じて戻そうとするかは人それぞれです。けれども気候変動は対策を取ってから結果が出るまでのタイムラグが長く、止めようと思った時に急に止まる、止められるものではありません。だからこそ、今から手を打つ必要があるのではないか、ということです。

 

 

 

(以下白井よりコメント)

ありがとうございました。

夏暑くなった、冬が暖かくなったといったことはよく聞かれることですし、何気なく思ってしまいます。しかしこの違和感は人によって違う。私の祖母も「昔は真夏に30℃を超えたときはとても暑い日だと感じた」と話していました。今では30℃で驚くなど考えられないことですが…。無意識に温暖化に対して危機感を持つことはできますが解決の道筋を想像できる人、ましてや10年後までに温暖化と解決する、気候変動問題を解決するといったことを具体的に想像できている人はかなり少ないのではないでしょうか。SDGsのぼんやりとしたGoalを眺めるようにそれがどういうものなのかよくわからない危機感、恐怖を抱くこと、その感情をある集団、ある社会の中で共感しあうことはとても簡単ではないでしょうか。そして自分も周りに遅れずに環境のことを心配できているというある種の安心感に浸ってしまえるように思います。しかしただただ心配するだけなのは、私は自分の人生が何か詰まらなく思えてしまう気がして何か駆り立てられるように考え続ける自分でありたいと思うのです。しかしこれといって活動しているわけでもない、日常の学生生活を送るなかで私はどのように振舞うべきなのか今見つめなければならないと強く思いました。


こんにちは、エコ~るど京大・白井亜美と申します。今回、このSDGsインタビューのテーマは「身近な多様性」です。幸か不幸か私たちは本当に一部しか世界を認識できません。だから考えも行動も「不十分ではないか?」という指摘から逃れることはできません。ですがそれでも「自分は一人前のひとりの人間だ」と思って、毎日生き、いろんなことを考えるのではないでしょうか。私たちもまだまだ未熟ですが、隣にいる人がどれくらい自分と異なる見方を持っているか、ここに少しでも触れていただけたら幸いです。

 

 

インタビュー日:2019年12月23日

回答者:安藤悠太(京都大学工学研究科博士課程3回生/エコ~るど京大)

 

 

Q:Goal12「つくる責任つかう責任」の中で興味のあるテーマは何ですか?

 

生産と消費の目標ですが、SDGs的には消費の方が興味があります。皆何かの消費者だから17目標の中でかなり身近だと思います。一口に消費と言っても、いろんなレイヤー感のある消費があり、物を使うことだけではなく、廃棄物も含めた物のライフサイクルで語らないといけません。特定の物を消費するから身近というより、もう社会すべてが消費の連続なのではないでしょうか。例えば、このパソコンのパーツもいろいろな国から部品が集まってできていますよね。パソコンでなくても、いろいろなところで作られたさまざまな物が回ってきた結果として作られていますよね。そういう意識があった方が面白いと思います。自給自足をしようと思っても、一人だと何もできない。自分の力だけで作れる物を考えてみると、何もないのではないか?社会には誰かが作った物しかないとも言えるわけです。一人でも、その辺に生えている草を食べるくらいはできるかもしれないですが…。人新世(アントロポロセン)って有名な言葉ですよね。今の世の中は人がいることによってできている。今の生活は先人たちが作り上げてきたものを利用しているわけです。だから、その時点で他者とのつながりは排除できないですよね。

 

 

Q:「消費」について取り組むにあたって主体はどこにあると思いますか?

 

「主体」って難しいですね。SDGsそのものは、そもそも「国々の目標」のはずですよね。では、日本の問題として生産消費の問題をちゃんと考えようとすると、結局は物の流れを扱うわけですから、他国の話も必ず関わってきますよね。一方、物を作って売るような主体を考えると、だいたいは企業です。その意味では、最近のSDGsの使われ方にあるように、企業にとっても取り組みやすい目標なのではないでしょうか。企業が最近発表しているSustainabilityレポートについてもここで言われています。

 

 

Q:Goal12の特徴は何だと思いますか?

 

Goal12は比較的ポジティブですよね。「○○をなくそう」系(貧困をなくそう、飢餓をゼロに、など)ではない。もちろん、本文には「廃棄物を減らそう」とは書いてありますがやはりポジティブなものが多い気がします。「利用する」「奨励する」「促進する」「意識を持つ」「支援する」「開発・導入する」とか。「みんなちゃんとやろう!」と言っている目標に見えます。

また、生産消費の問題をエネルギー的な視点で見ると、物を使って何かすればごみが出ることは、自然なプロセスですよね。すると、それが持続可能になるというのは、そもそも無理な話ではないでしょうか?もし消費が持続可能だったら、一種の永久機関ができてしまいますよね(笑)。もちろん持続可能の定義の仕方にもよりますが…。人工物だけでなく、自然もエネルギーを投入して捨ててはじめて機能を果たしていくわけです。そう考えると、作って使って捨てる営みの中で無駄が生じないわけがないんです。無駄がなくては発達してこられなかったわけです。では、持続可能とは何だろう?と考えると、必ず出るのは認めて、無駄を減らすことが第一歩と思います。ロスるけれども必要な物は使わなければならない。

 

 

Q:SDGsが2030年までの目標達成を掲げていますが、この「消費」問題は2030年へ向けてどうなっていくものだと想定していますか?

 

少なくとも10年では、物の流れ自体は大して変わらないと思います。取り組む企業も増えているので、だいぶ達成に近づくとは思いますが、大量生産大量消費のスキームは変わらないのではないでしょうか。先進国は変われるかもしれないけれど、途上国は物が欲しいはずです。でも、これは仕方ないことです。とは言え、大量生産大量消費社会の是非はずっと問われているので、だんだん皆の意識が変わっていくと思います。日本企業だけを見ていても「サステイナブル」の価値を言うことが増えているので、かなり期待しています。

 

 

Q:安藤さんはGoal12についてどのように向き合っていこうと考えていますか?

 

生きていくためには物を消費していかなければいけないという前提で、自分の欲望には忠実に。ただ、同じ物を買うならば、良いものを買ったり長く使ったりした方が、結局メリットが多い気がします。「安物買いの銭失い」とはよく言ったものですよね!だから、「良いものを大事に」という発想がもっとあってもいいのではないかと思います。人がずっと使った物の方が味が出るし、それこそが愛着の源ではないでしょうか。持っていないのが残念ですが、例えば、革ジャンは修正しながら30年着るといわれています。そういうのって、シンプルにかっこいいなと思います。

 

 

Q:最後に、Goal12を一言でいうと何ですか?

 

「生きることは消費すること」

 

12番目のゴールは生産と消費に関わる目標です。私たちは常に、ものを作って使って捨てています。日々の食事一つ取っても、何人もの人たちが作り捨てていることは想像に難くありません。このような社会的な営みは、人間が培ってきた社会活動の本質でしょう。では、どうやって「責任ある生産消費」を目指せるのでしょうか?社会活動をなくすのが本質的ではないとするならば、結局は欲望には忠実でありながら、溢れる無駄を減らしていくことが第一歩なのではないでしょうか。そんな無駄を減らしていく中で重要になるのは、愛着を生むような社会活動なのかもしれません。

 

 

 

(以下白井よりコメント)

ありがとうございました。

「欲望には忠実に」という表現がとてもすてきだなと思いました。人によって程度はあれど欲望を抑え続けることは難しい。特にそう我慢する正当性を自分に偽ることなく説得できなければ、我慢することが苦痛となってしまうように思います。苦しいことはやはり続かないのではないでしょうか。では私は何をするのか。まずは無駄を意識することではないかと思います。時間と同じです。ぼーっとしていると空き時間に気づけない。けれども思い切って予定をキャンセルしてしまったりメリハリをつけて仕事をしたり勉強したりすると空き時間を作ることができる。無駄も同じではないでしょうか。もしもの時を考えたら無駄な物など無いように感じます。もしかしたら使うことがあるかもしれない、将来何が起こるかわかりませんし、その物がどういう風に使われるかもわかりません。その中でいくらかの「万が一」の想定を無視してそれが「無駄だ」と認識しなければならないと思います。無駄を減らすことは可能だと思いますが、個人個人の意識の問題に落とし込む必要があるのではないかと思います。そしてそれは空き時間を作るのと同じように結構難しいことだと認識する必要があるのではないでしょうか。


こんにちは、エコ~るど京大・白井亜美と申します。今回、このSDGsインタビューのテーマは「身近な多様性」です。幸か不幸か私たちは本当に一部しか世界を認識できません。だから考えも行動も「不十分ではないか?」という指摘から逃れることはできません。ですがそれでも「自分は一人前のひとりの人間だ」と思って、毎日生き、いろんなことを考えるのではないでしょうか。私たちもまだまだ未熟ですが、隣にいる人がどれくらい自分と異なる見方を持っているか、ここに少しでも触れていただけたら幸いです。

 

 

インタビュー日:12月19日

回答者:横井晴紀(京都大学経済学部3回生/エコ~るど京大)

 

 

Q:Goal11「住み続けられるまちづくりを」の中で興味のあるテーマは何ですか?

 

興味があるのは消滅可能性都市に関する諸問題です。もう一番やばいというか消えていくことが確定しているところにいって話を聞く院ゼミが最近ありました。そこで住民の人が「消えていくのはしょうがないけど、今の暮らしは自分にとっては結構満足している。だからV字回復させるよりはこのまま暮らし続けたい」というのを聴きました。住み続けられるということに反対するのは難しく、直感的に賛成してしまいそうになります。けれどもその住民の方は無理やり(街を)続けていくことに必ずしも賛成しているわけではありません。そこに消滅可能性都市を持続させるのか、それとも持続させないのか、その場合どういう線引きがあるのか、といった問題があります。結局「住み続けられる街づくり」はセンシティブな問題であって、いわゆる大都市でも農村でも2030年まで、あるいはもっと先まで続かせることが暗黙の前提になっています。しかし特に日本とか先進国においてはそういう何もしなければ消えていくところがあります。では、そういうところを住み続けられるというのはどういう意味なのかと思いました。あくまでも住みたい人が住めればいいのか、それとも何が何でもつぶさないことなのか、その時それは果たして正義なのかっていといった話になります。(SDGsに対して)大筋には反対ではないが例外があるのではないかと思います。

 

 

Q:SDGsが2030年までの目標達成を掲げていますが、この「消滅可能性都市」問題は2030年へ向けてどうなっていくものだと想定していますか?

 

10年で完全に問題が消えることは絶対にないと思っています。どんなところにしてもそこに住み続けたい人はなくならないと思います。もちろん既に廃村になっている集落もあるけれどもあくまでもなだらかに人が減っていくっていう状況があるからより一層問題が深刻化していくのではないでしょうか。例えば災害、水害に強いということがターゲットで言及されていますが、そもそも達成するという状況が想定できなくないですか?どれだけ対策したところで、1万年に一度といった想定していないことが起こったら絶対水害が起こります。そうなるとこのGoalはあくまでも努力目標、方向付けで完成形がどうもないような気がします。

 

 

Q:「消滅可能性都市」問題に取り組むにあたって主体はどこにあると思いますか?

 

それ結構大事だと思います。というのもこれはSDGsがいろんな人に適用しようとしていることから生まれてくる問題だと思いますが、多分行政側と住民側とで全然見方が違っています。住民個人個人にとって一番のかたちが何かということが最も大事、街に住み続けるかどうかは住民次第です。去年の授業で「あなたは今ちっちゃい太平洋の島国の政府のトップで、その島国は海面が上がってきて沈みかけている。あなたは政府としてどうしますか」という質問がありました。自分は「沈むことは止めようがないことだから住民が国外へ移住することも仕方のない」と言うと、他の人が住民が、移住したい住民に対して政府は積極的に支援していいけれども一人でもそこに残りたいっていう人がいるのであればあくまでも島に残れるように体制を維持できるような支援をし続けるべきだ。なぜならばそれが政府の役割だからだ」と言いました。それを聞いてなるほどと思いました。あくまでも行政はその地域でその地域の住民のために何かをするものではないでしょうか。だからそこの地域でずっと住み続けたいという住民が一人でもいるのであればその希望に寄り添うことは当然であり、それが行政の意義に合うのではないでしょうか。こうやって消滅可能性都市を考えると住民側と行政側で受け止めるべきことが結構明確に違うのだと思いました。

 

 

Q:上の質問で挙げていただいた「主体」と「自分」にはどのような関係があると思いますか?

 

自分はやっぱり住民でないことは明らかで、やっぱりその地域は住んでいる人たちのもので、住んでいる人たちが一番重要でしかるべきです。「(街の持続は)もう無理だから引っ越しなさい」と外野から言われるのは違うのではないでしょうか。残る人が数人しかいなくても済み続けるための支援をすべきとする考え方は結構経済的に効率悪いですよね。広く国民の理解がないとうまくいかないでしょう。「何故わずか数十人しかいない地域のために毎年毎年こんなに税金つぎこまなければいけないのか」という考え方が支配的になってしまったら、結局満たされないですよね。個人としてはあくまでも小さい一人としてこういう視点を伝えていくしかないと思っています。

 

 

Q:10年ってどれくらいの長さに感じますか?

 

持続可能性を考える上では短すぎるのではないでしょうか。ただ気候変動とかそういったところに関してはすでに緊急の対策が必要っていう状況になっていて、そういった意味ではとりあえずの目標としてはアリだと思います。しかし事の他Goal11に関しては10年しかかからない変化がそんなに長く続くのでしょうか。結局人がいるから街になり、人って大体人生60年あるわけで、それを10年で何とかしろという方が無理ですよね。

 

 

Q:ではSDGsはその中でどういう意義があると思われますか?

 

あくまでも方向付けではないでしょうか。街づくりは長期ですが、それは逆にいえば短期の積み重ねです。そういった意味で10年後までにこの方向にはちゃんと向けるようにするという意義はあると思います。それが課題だと認識した上でそれが長い間うまくいくようにいろいろと政策を進めていく、当然進めていくためには合意が必要です。すぐ方針転換しては意味がなくて、そういったものをこう幅広く行政もそうだし住民も他の国民も含めてある程度納得して、実行していける体制を整える。10年だと体制を整えるのが限界ではないでしょうか。例えば水害に強い街づくりは10年では絶対完成しないと思います。まず構想に数年かかる。いくつか案が出て、それを一番費用対効果がいいのはどれかと考え、それからもし何か移転しなければならないならまた移転先探して、うまくいけば10年後に建設確定ではないでしょうか。そう考えると街づくりを10年で実現するっていうのは多分無理で、あくまでも方向付けになると思います。

 

 

Q:最後に、Goal10を一言でいうと何ですか?

 

「誰のための『街』なのだろうか」

 

その街の住人、近隣の住人、他の地域の住人、行政・・・立場によって「街」に求めるものは異なってきます。どの視点から「街」を考えるのかはっきりさせないと的外れな対応をしてしまうと思います。

 

 

 

(以下白井よりコメント)

ありがとうございました。

持続可能な街づくりの体制を整える10年、やはり考えるというのはたくさんの時間が費やされる大変な作業なのだと思い知らされてしまったように思います。日本で暮らしていると「災害に強い街をつくろう」というスローガンはとても身近に思えます。しかし10年でどう達成されるのか、と一度考えだすと10年で何がどう達成されるのか、現在の災害に対する弱さがどれくらい改善されるのか、無意識に達成できないと思ってしまっていたことに気づかされました。つまりSDGsは当たり前のことですが、すべての目標について期限が2030年とされています。しかし「何がどれくらい達成されるのか」については目標ごとに大きく異なっている、ものによっては10年、5年で達成できることもあるかもしれないでしょう。しかし100年以上かかりそうだと直感するような目標についてもあるはずです。だから10年では達成できないと信じてしまっているのに「SDGsを達成しよう」などと何も考えずに唱えてしまうような気がします。また、街づくりを考えるとき、多くの都市については非住民、外部の立場の人間になってしまうことにもまた難しさがあるように思います。自分はたった一人の意見、主張を本当に尊重できるでしょうか。毎回毎回尊重できるとはさすがに思いませんが「お互い様だから譲り合おう」などと求めてしまうのではないでしょうか。その「譲り合い」という言葉が持つ一種の暴力に少し身の引き締まる思いがしました。


こんにちは、エコ~るど京大・白井亜美と申します。今回、このSDGsインタビューのテーマは「身近な多様性」です。幸か不幸か私たちは本当に一部しか世界を認識できません。だから考えも行動も「不十分ではないか?」という指摘から逃れることはできません。ですがそれでも「自分は一人前のひとりの人間だ」と思って、毎日生き、いろんなことを考えるのではないでしょうか。私たちもまだまだ未熟ですが、隣にいる人がどれくらい自分と異なる見方を持っているか、ここに少しでも触れていただけたら幸いです。

 

 

インタビュー日:2020年1月29日

回答者:西道奎(京都大学総合人間学部3回生/エコ~るど京大)

 

 

Q:Goal10「人と国の不平等をなくそう」の中で興味のあるテーマは何ですか?

 

パレスチナ問題と在日朝鮮人問題です。

パレスチナ問題と在日朝鮮人問題は、異なる歴史をもち、それぞれの社会に独特な問題も抱えています。ですが、問題の根源を考えれば、共通点も見えてきます。今私が感じている限りで最も顕著だと思うのは、どちらしても、明らかな差別が存在しているのに、その事実を否定する言説、あるいは反対に、差別のある状況を当然視する態度が浸透することによって、現行の不正を訴える声が届きにくい傾向にあることです。

 

 

Q:なぜそのテーマに関心を持っているのですか?

 

関心を持っている理由は、おそらく、これらの問題が、自らの生きる社会に対する私の視界を広げ、同時に、物事の共通点を見出し普遍的に思考するきっかけを与えてくれたからです。私は朝鮮に自らのルーツを持っていますが、パレスチナ問題を通して初めてきちんと在日朝鮮人の問題に向き合いました。日々生きている社会のことだからこそ、気づいていなかったり目をそらしていたりするものです。他方、留学に来てパレスチナ・イスラエルで学んでいると、日本社会の問題と繋げて考えることで見えてくる部分が沢山あります。時に、日本・朝鮮、パレスチナ・イスラエルそれぞれの問題であることを超えて、社会問題の、あるいは人間存在の根源に関わる普遍的な問いへとたどり着くこともあります。世界にある様々な問題はどれをとってもきっと、アラカルトの問題にはとどまらず、その先にある根源的問いに繋がっているのだと思います。私にとっては、そのことを知らしめたのがパレスチナ問題と在日朝鮮人問題でした。

 

 

Q:それぞれのトピックに向き合うときに主体はどこにある、または誰であると考えますか?

 

「私たち」だと考えています。ある問題に関して、主体が「彼ら」であると考えている限り、それはその人にとっての真の「問題」とはならず、同情するにとどまってしまいます。パレスチナ問題に関して言えば、私は「当事者」ではありません。でも、私も、この問題の主体の一部だと考えています。先にも述べたように、私にとってパレスチナ問題を考えることは、自ら生きる社会について考えることでもあり、自分の存在とはなにかについて考えることでもあります。この世界にはたくさんの問題があり、そのすべてに主体として取り組むことはできません。ですが、「私たち」の問題として取り組んでいるものがあれば、それらを通して、きっと他の問題と繋がる時があります。何かに真剣に向き合おうとするならば、まず、それをいかに「自分事」にできるかが重要なのだと思います。

 

 

Q:SDGsが2030までの達成を掲げていますが、このパレスチナ問題、在日朝鮮人問題の不平等解消、実現するでしょうか?

 

改善はする、させなければないと思っていますが、2030年までに「解決する」ことには懐疑的です。解決に向かうには目標を建てなければいけませんが、どのような過程を辿って状況を改善していくのかも重要だと思います。仮に、ゴール10に関して、明日から全員を平等に扱いますと言うだけで解決するのであれば、すでに問題は解決しているはずです。でもそれができないのは、私たちの生活のあらゆる面に不平等が組み込まれているからだと思います。もっと言えば不平等の上に成り立っているともいえるかもしれません。ゴール10のターゲットには、経済基盤の強化や法改正が挙げられていますが、それだけではなく、私たち一人ひとりが、身近なことから、意識を変えてゆかなければ解決には至らないのではないでしょうか。

 

 

Q:西道さんはこの10年間、そのトピックについてどのように向き合っていこうと考えていますか?

 

身近な人に少しでも別の視点から考えるきっかけを与えられればいいと思っています。社会を変えるというと何か大きなことをしなければならないと思いがちですが、畢竟、社会を構成しているのは私たち一人ひとりです。

 

 

Q:上の過程で「SDGs」という概念をどれくらい意識しますか?

 

SDGsの良さは、世界的に共通な認識であることを示せるところだと思っています。例えば、不平等の是正に関することについて訴えたいとき、「SDGsのゴール10で謳われているように」と付け加えることよって、意見に裏付けを与えることができます

 

 

Q:SDGs17ゴールの中で不平等のゴールの特徴、立ち位置をどのように考えますか?

 

どのゴール(解決課題)についても言えるかもしれませんが、常に他の課題と関連を持ちながら存在していると考えています。貧困や飢餓の問題も、不平等に負うところが大きいでしょうし、陸の豊かさを損なうプランテーションも国家間の格差ゆえでしょう。ゴール10の達成には、他のゴールにも並行して取り組むことが不可欠です。

 

 

Q:最後に、Goal10を一言でいうと何ですか?

 

「『恩情』ではない、自戒と温情だ」

 

「不平等をなくそう」というスローガンにはたいてい、弱い立場にあるかわいそうな人々を支援してあげなければ、というような含みがある気がしてなりません。でも、支援する以前に、そもそもの不平等の原因に自分も加担しているかもしれませんし、あるいはまた、「かわいそうな人々」というレッテルで、彼/彼女ら自身の強さを無視してしまっているかもしれません。不平等を考えるにあたっては、「何かをしてあげる」というような姿勢でいるのではなく、自己/他者の関係を見つめ直すことから始めなければならないのではないかと思っています。

 

 

 

(以下白井のコメント)

ありがとうございました。

インタビューさせていただきながらその問題がどれだけ解決が熱望される問題でありそして目の前にいる人がどれだけの危機感をもってその中を生きているかということをびりびりと感じました。しかしその現実感の中に私はまだ自分を置けていないことに気づきながらやや後ろ髪をひかれるけれども、それでも腰は重たいまま動かしません。今しようと思わない、しようと気合を入れないことについてはやはりしないのではないかと思います。ただ一方でパレスチナ問題や在日朝鮮人問題などの不正を訴えていく姿は清々しくてかっこいい、だからそこから目をそらす自分は何となくカッコよくない感じもするのです。自分がどういう状況にあっても右を向くか左を向くかは決められる。それを強烈に実感しながら私は自分が何を選択してそれに対して私は自分自身にどう説明していくかそこにずっと向き合っていくのだと思います。すべてのことを身近に、自分事にはできないとある意味割り切りながら一つの問題、視点が他のあらゆることにつながる、視野が広がるような感じがします。しかし完全に不可能だと考えていたら何を罪に思うでしょうか。自分にもできることがあるように思えるからこそ問題を無視しているような意識があって、心が少し締まるような気持ちがするのではないかなとも思います。


こんにちは、エコ~るど京大・白井亜美と申します。今回、このSDGsインタビューのテーマは「身近な多様性」です。幸か不幸か私たちは本当に一部しか世界を認識できません。だから考えも行動も「不十分ではないか?」という指摘から逃れることはできません。ですがそれでも「自分は一人前のひとりの人間だ」と思って、毎日生き、いろんなことを考えるのではないでしょうか。私たちもまだまだ未熟ですが、隣にいる人がどれくらい自分と異なる見方を持っているか、ここに少しでも触れていただけたら幸いです。

 

 

インタビュー日:2019年12月24日

回答者:小野田千寛(京都大学工学部4回生)

 

 

Q:Goal09「産業と技術革新の基盤を作ろう」の中で興味のあるテーマは何ですか?

 

今バイトをしていますが、売り上げのために自分が人ではないロボットに、産業の歯車になってしまったような感じがします。そうした売り上げなどが経済発展につながるとしたらそのゴールである経済発展って何だろうか、経済発展は自分たちがそういう思いをしてまで目指すものなのかとすごく思います。つまり経済発展は絶対いいもので豊かになるイメージがありますが、そうではないのではないか、それは本当に豊かさなのかと疑問を感じます。政治家などは割と経済発展ありきでいろんなことをしているように思えるけれどもうちょっと根本的なことも考えた方がいいのではないかと思います。経済発展は環境問題や人権、働き方、そういうものと相反するようなところがあるのではないかということについてもう少し考える必要があるように思います。最近の一番の収穫はこの問題がすごく難しいとわかったことです。例えばGDP が低めの国がある程度産業化することで衛生面が良くなったりちゃんと生活できるだけの仕事と収入が得られるようになったりするのであれば経済発展もすごくいいと思うけど、その達成に関してはGDPを上げるよりインフラを整備する方がいいと思います。先進国は直感的ではあるけれどいい加減、限界ではないかと思います。そんな革新的な技術がこれから出てくるのか、拡大拡大といわれるけど地球が有限なのにどうやって拡大していくのか、日本でいうとそんなに需要などないのではないかとすごく思います。先進国であればある程度インフラなどの生活基盤ができているから発展し続けることにそんなに意味があるのかと疑問に思います。必要かそうではないかの線引きは難しいけど「経済発展し続ける」というのがちょっと気になります。ここが難しいところで、今はGDPがメインですがお金ではない価値観が生まれてこないと厳しいのではないかと思います。難しいですが、幸福度みたいなものが一定以上満たされる社会ができたらすごくいいですね。GDPのためにボロボロになるまで働くのはどうなのかと思います。

 

 

Q:このGoalに取り組むにあたって主体はどこにあると思いますか?

 

ここには開発途上国のことが書いてあるので、先進国じゃなくて開発途上国の生活の危うい人が主人公になるべきだと思います。

 

 

Q:小野田さんはそういう「主体」とどれくらい関わりがあると意識されていますか?

 

毎日は意識しない。例えば買い物するとき、どこの人が作っているか、この人たちは搾取されていない工場で働いているのか、自分が商品を買うことによってどういう影響が生まれるのかなどを考えます。

 

 

Q:SDGsが2030年までの目標達成を掲げていますが、この「豊かさと経済発展」問題は2030年へ向けてどうなっていくものだと想定していますか?

 

10年で本当にすべての国がちゃんとインフラ整っている状態になるのは無理じゃないかと思います。ある程度今より良くなっているとは思いますがすべての国がそうなるかどうかはわからないし、そうならなくてもいいところもあるのではないかと思います。安易なイメージですがアマゾンの原住民など、そこで独自の文化があり、何か近代的なインフラとかが別になくても不自由しないといったこと関しては(必ずしもインフラの整備は必要不可欠ではない)。すごく当たり前のことですが、その人自身が自分たちはそれでいいって思うならそれでいいと思うし、すごく不平等だなって感じるなら困っていると感じるなら変えた方がいいのではないでしょうか。正直、全部の国が日本みたいになったら資源がすぐになくなりエネルギーもすぐになくなるのではないかと思います。インドとか人口の多い国で全員が車を持ったらどうなるのでしょうか。それがすごく難しい。今の先進国そのものをやるのではなくて、それこそ技術が改良される必要があると思います。

 

 

Q:Goal09の特徴は何だと思いますか?

 

前からODAとか途上国に対する支援はあったので国連でGoalを創ろうとなったら真先に09のようなGoalは入るだろうと思います。当然の結果のように思えます。2030年という期限の意味は正直よくわからないですが、持続可能な開発って(SDGsの)前から言われていて、それを明文化して活動しやすくしたのがSDGsだと思っています。Goal09に関していえば先進国の政府や企業などの支援する側にとって、支援の仕方がいろいろある中でどういう方向に支援を進めたら良いかすごく悩ましいけれど、Goalには方向性を示されていると思います。例えばダムを作るときそこにはいろんな問題が絡んでいます。インフラ面ではいいのかもしれないけど環境破壊になるかもしれないというようにいろんなことが絡みついています。その中でこのゴールに当てはまっているからこういう支援をしようという根拠になるのではないかと思います。

 

 

Q:次の10年間、小野田さんはGoal09とどのように向き合おうと考えていますか?

 

GDPを妄信するのではなくて、経済発展をどこまで続けていくのか、経済発展のいいところ悪いところなど私も考えていこうと思っています。経済発展ではなくて途上国の生活基盤やインフラ発展などは進めたらいいと思うけど、境目、どこまでいったらゴールなのかがすごく難しい問題だと思います。直接的に支援できるのは政策を作る人や企業を動かす人だと思いますが、そういうのを決めていくのは国民ではあるのでそうしたら皆考えた方がいいですがそこも難しいです。それこそ途上国の人たちは明日の生活もどうなるかわからないのにそんな考える余裕ないと思います。難しい。でも「先進国側が考えるべき」と思います。助ける側の人がそういうことをきちっと考えたほうがいいのではないでしょうか。

 

 

Q:最後に、Goal09を一言でいうと何ですか?

 

「そろそろ立ち止まって考えたい」

 

経済成長や産業化は、当然目指すべきゴールなのでしょうか。資源は有限と言われていますが、それでも「発展」を続けることはできるのでしょうか。ひとまず必要なインフラを整備することは重要かもしれません。しかし、「発展」が向かう先を、そろそろ立ち止まって考えても良いのではないでしょうか。正解はないのかもしれませんが…。

 

 

 

(以下白井よりコメント)

ありがとうございました。

自分の経験から経済発展の必要性に疑問を感じながら経済発展によってもたらされる恩恵も理解できてしまう、無視できず、どこまでが必要でどこからが必要でないかの境界もよくつかめず、その人自身が不自由を感じなければいいと思ってもそれがどういうことなのか考えようとしてもそれに詰まってしまう。何か直感があってその直感がどう実現しそうなのか考え始めるとそれが非常にぼんやりしていて、かつ気にしなければならないことが山のようにあって前になかなか進められない。この難しくてもどかしい感じがインタビューをしながらとても伝わってきました。また、私が日本が普段どれだけ便利でお金のかかる生活を送っているかも実感させられました。途上国に対して支援することが大切と直感できても、自分と同じような贅沢な生活は実現させられない、なぜなら自分が地球の資源を潤沢に使っているから。そういう否定してしまいたい冷たさが現実として存在していることにチクりとさせられました。自分が「支援しよう」などと発言することが虚しく感じて何も発せられない気分になり、代わりに「ああ、難しい」と言ってしまう。それでも、その中で経済は発展されることが求められ、私たちは前に進むことが今現在は求められ、応じているように思っています。