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エコ~るど京大

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こんにちは、エコ~るど京大・白井亜美と申します。今回、このSDGsインタビューのテーマは「身近な多様性」です。幸か不幸か私たちは本当に一部しか世界を認識できません。だから考えも行動も「不十分ではないか?」という指摘から逃れることはできません。ですがそれでも「自分は一人前のひとりの人間だ」と思って、毎日生き、いろんなことを考えるのではないでしょうか。私たちもまだまだ未熟ですが、隣にいる人がどれくらい自分と異なる見方を持っているか、ここに少しでも触れていただけたら幸いです。

 

 

インタビュー日:2019年12月17日

回答者:山口真広(京都大学大学院農学研究科修士課程1回生/エコ~るど京大)

 

 

Q:Goal08「働きがいも経済成長も」の中で興味のあるテーマは何ですか?

 

現在、今までの働き方はやりすぎでそれを改善していこうとする動きがあります。働き方を改善しようとする姿勢は嫌いではありませんが、残業が少ないとか特定のことだけが正しいとされる流れになりつつあるように感じています。まるで弱者のフリをして正しそうなことを押し付けてくるみたいでちょっと怖いと思います。

仏教の臨済宗と曹洞宗を引き合いにださせてください。この二つはどちらも禅宗ですが、その修行観は大きく違います。臨済宗では四六時中修行して必死に公案を考え抜いて悟りに至ることが求められるそうで、人が寝静まっている時に一人起きて瞑想することが美徳とされます。一方曹洞宗ではこういった抜け駆けはだめで、みんな揃って修行することを求められるそうです。この二つの修行観はどちらも大切であり、安易に否定されるべきものではないでしょう。

働き方をこの修行観の違いだけから見ると、今までの必死に働いたり残業頑張ったりという働き方は臨済宗的で、新しく言われている残業を減らすとかいうのは曹洞宗的かなと。もちろん臨済宗が高圧的だとか、曹洞宗が弱っちいとか思っているわけではなく、単純に働き方と修行観だけを比較したときにそう分けて見てしまうという話です。働き方を考えるときに中心となる問題点は、「社会的弱者」という強い言葉と一緒に新しい働き方にシフトし、固執して、他者への押し付けが始まり、また同じような問題が生じるといった鼬ごっこが起こるような気がします。それに自分はものの見方が臨済宗よりなので安直に今までの働き方が否定されると少し自分の価値観も否定されたようで嫌な気持ちになります。

 

 

Q:実際に今までの「臨済宗的な」働き方が良いとされているあり方では立ちいかなくなってきている現状があって、今の規範の変化が起こっているように思えるのですが、想定している理想のようなものをもう少し教えてください。

 

一番抽象的に考えるなら、全員が自分と他人を分けて考えられるというのが一つではないでしょうか。例えば残業は0にしようという流れに対して、「あなたたちはそう考えるのですね、でも僕たちは残業していてもそれはかっこいいと思う」、と意見が違うことを認め合うこと。ですが今の社会では僕も含めてできていない人が多いと感じています

 

 

Q:SDGsに取り組むことが流行になっているなかで山口さんはどのように関わっていこうとしていますか?

 

SDGsとはちょっと距離を置きたいと思います。SDGsを否定したいとか覆したいとか考えているわけではないですが、ただSDGsがこのベクトルのまま進んだら、SDGsは自分の染みついた価値観とかなりずれた方に行ってしまうイメージがあります。SDGsは正しいことを言っていると思うけど流れには乗れない、SDGsという川に対して自分は広がるデルタの端に居て自分の流れる方向を修正していく感じかなと思います。

 

 

Q:それは先ほど話してくださったようにSDGsをはじめ今の世の中の流れが自分がルーツにもつ考えに沿わないと感じるからでしょうか?

 

それもあると思います。働き方改革の流れは曹洞宗的といったけどSDGsは浄土真宗的かなと感じます。ちゃんと仏教を勉強したわけでもないのに恐縮ですが、「皆さんこれを考えれば世界がよくなりますよ」というSDGsの解釈のされ方と「念仏唱えれば往生できる」という浄土真宗の建前に近しいものを感じてしまいます。僕は器が小さい上に、必死に目的に向かうのが一番だとつい考えてしまう性格をしています。だからお経を唱えて願うより、必死に修行するほうがかっこいいと思いますし、「SDGs取り組んでいますとアピールする暇があったらその間もっと頑張れよ!」とも思ってしまいます。

 

 

Q:最初に質問したときに今の流れを「弱者のフリして正しそうなことを押し付けてくる」と表現されましたが、この言葉の意図について教えてください。とらえ方によっては暴力的にも聞こえますよね。例えば誰が自分を弱者と称しているように山口さんには見えるのですか?弱者の「フリ」とはどういう意味でしょうか?

 

「弱者」は本当に苦しんでいる人たち、本当に助けを求めている人たちです。「フリ」をするというのは実際にはそう苦しんでいるわけでもなくネット上で実名出さずに言いたいこと言うことや、自分の文脈で他人の苦しみを解釈して「社会的弱者の声に耳を傾けていますよ」、「正しいことしていますよ」といって大きい顔をすることです。そういう風潮はどことなく自分にとっては生きづらく感じます。

 

 

Q:SDGsを否定しているわけではないんですよね。では「弱者のフリして正しそうなことを押し付けてくる」こととSDGsに取り組むことはどう違っているのでしょうか?

 

まず大前提として浄土宗でも臨済宗でも曹洞宗でもどの宗派の立場に立ったとしても、人の幸せを大事にされているのに変わりはないと思います。同じようにSDGs的な考え方でも自分のような考え方をとってもこの前提は普遍的なものだと信じています。正解、不正解を分けず、全部OKというのが僕の理想の一つです。そう考えたときにSDGsはただやっているかどうかに意味が置かれがちに見えます。でも自分の理想は、自分の胸の中の暖かいものに引っ張られて人に何かをして、その人が笑って自分も笑って、はい終わりというものです。本来は行動が(SDGs的に)正しいか正しくないかはどうでもよくて、ただそこに慈悲、世のため人のためっていう感情のようなそれっぽい何かがあれば十分。それがたまたまSDGsといった世俗的なブランド価値になります。

 

 

Q:最後に、Goal01を一言でいうと何ですか?

 

「学校の先生」

 

SDGsで提言されていることは確かに社会システムその他を持続させることに繋がるであろうことは認めます。しかしこれが広まる過程で個々人の意識の中にあるのは、「新しい常識に従う」や「社会の流れにのる」というようなものであるように感じます。この点ではSDGsが叫ばれる前、大量生産・大量消費の時代と何ら変わりないのではないでしょうか。社会の常識として捉えたものを人に話す時どうしても学校の先生のように巧言令色の雰囲気を感じ、反抗したくなります。本当に人のためにと考えるなら、親が子供にするような顔をして欲しいですね。

 

 

 

(以下白井よりコメント)

ありがとうございました。

最初に「弱者のフリして正しそうなことを押し付けてくる」と聞いた時には少々驚きましたが重要なのは「弱者」の部分ではなくて「押し付ける」の部分だったのだなと気づきました。確かにこれだ!という解決方法、正解を探し当てたと思ったとき、その良さを一心に主張してしまうような気がします。前に思っていたこと、相手の主張、考えを変える難しさを振り返ることをつい忘れてしまうように思います。働き方に対して抱える問題が鎌倉仏教禅宗の中にもみられていて、人間1000年たっても似たような課題を持ち続けていることに興味深さと少し呆れるような心地と千年前の日本人たちの心に共感できてしまったようなワクワク感を覚えました。臨済宗も曹洞宗ももちろん浄土宗もつぶれることなく現在に残っています。お寺の数、僧侶の数、本山の数は宗派の人気具合やスタイルに依ると思いますが、たとえ少数派であっても否定せず残せているところは見習うことができるのではないでしょうか。


こんにちは、エコ~るど京大・白井亜美と申します。今回、このSDGsインタビューのテーマは「身近な多様性」です。幸か不幸か私たちは本当に一部しか世界を認識できません。だから考えも行動も「不十分ではないか?」という指摘から逃れることはできません。ですがそれでも「自分は一人前のひとりの人間だ」と思って、毎日生き、いろんなことを考えるのではないでしょうか。私たちもまだまだ未熟ですが、隣にいる人がどれくらい自分と異なる見方を持っているか、ここに少しでも触れていただけたら幸いです。

 

 

インタビュー日:2020年2月3日

回答者:李チン(京都大学地球環境学堂OG)

 

 

Q:Goal07「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」の中で興味のあるテーマは何ですか?

 

個人の事業者などで自宅で発電している普通の一般市民のプロジェクトと国の大型のプロジェクトとの連携に興味があります。

 

 

Q:どうしてそこに興味を持っているのですか?

 

授業を通じて注目するようになったのですが、日本にはFIT制度があります。低い価格で太陽光パネルなどを導入できるように補助金を出したり、逆に自宅で発電した電力を国が高い単価で買ったりするなど政府が金銭的な支援を行うもので、これによって太陽光発電などが前に進みやすくなります。ですが個人事業の発電には課題があります。例えば技術のレベルでいうと壊れたときに修理できないことがあり、小型の太陽光パネルは発電効率が低いかもしれません。こういった問題は解決しにくいのではないかと思います。

 

 

Q:SDGsが2030年までの目標達成を掲げていますが、この「FIT」は2030年へ向けてどうなっていくものだと想定していますか?

 

皆がエネルギーを太陽光パネルを自分でも購入したときにFIT制度は止まると思います。2030までにまず市民の意識が高まると思います。太陽光パネルの購入は環境に優しく、自分の収益にもなり、電気料金も少なくなるといった意識が広がっていくと思います。皆が小さいパネルではあまり発電できないし、パネルは高いです。個人で太陽光発電をする人も今は多くないので「私も(自宅で太陽光発電を)しない」と思っている人が多いと思います。これはエコな行動なのでトレンドにできたらいいと思います。根拠はないのですが(2030年までに)80%の人は個人で太陽光パネルや他の何か家庭用の発電機を持つようになると思います。そうなってほしいです。

 

 

Q:この課題に取り組むにあたって主体はどこにあると思いますか?

 

主体は一般市民です。もちろん、政府もやるべきことやっていると思います。電気を改修するときの値段は高いですが、制度があって補助金を出しています。新しいことを参加することを考えると、一般の人がもっと積極的に頑張らないといけないと思います。再生可能エネルギーは国が解決すべき問題ではなくて自分ができることをして、協力していけば全体も動きやすいのではないでしょうか。

 

 

Q:あなたはこのことに対してどのように向き合っていこうと考えていますか?

 

いろんなことに興味持ち、もっと勉強してやっぱり地球のためにも自分のためにも具体的な取り組み行動をしたいと考えています。以前家に太陽光パネルを設置された人にインタビューをしに行くことがありました。どうして太陽光パネルを設置しようと思われたのか疑問だったのですが太陽光パネルを導入することに対して様々な支援の方法があることがわかり、そして自分も何かしたいと思いました。勉強しなければ他人事です。他の人が暇だったら自分でなにかおしゃれなものを購入してエコにしている。今電力は少ないと思うので、もっと自分が知識を吸収することで他の人もより取り組みやすくなると思っています。他人のことではなくて「自分もエネルギーとかの問題を解決できる」、「皆一緒に努力すれば解決できる」と思ってほしいです。エネルギーは国の大きなプロジェクトであるというイメージがあり、自分一人の小さな行動ではあまり貢献できないのではないかと思ってきました。しかし今補助金があり、何もしなくても業者さんに工事など全部してもらえますし、発電した電力も高く売れます。自分に悪いこともなく、取り組みやすいのではないかと思います。

 

 

Q:最後に、Goal07を一言でいうと何ですか?

 

「FITからFUTURE」

 

FIT制度はより安全でより環境にやさしい再生エネルギーをもっと手軽な価格で市民に取り組ませ、未来への道を開いたと感じました。

 

 

 

(以下白井よりコメント)

ありがとうございました。

再生可能エネルギーの益は理解していても日本は雨が多いのではないか、自宅に設置するには費用も掛かるし効率も悪いのではないか。聞きかじっただけ、もしかしたら思いこんでいただけの情報を言い訳にして何もしようとしていなかった自分に気づかされる思いがしました。もの、科学技術があればそれで終わりでは全くない。どうやって使っていくか、使ってもらえるように支援なり、その他様々な方法を考えていくのか、その広がりは本当に際限がないのだと実感しました。その意味で広報はやはり大切なのだと思いました。人間は今、この瞬間に目の前にない事柄について考えることができます。だから様々なことを想像できますし、想定して対策することもできます。ですが将来の可能性は数えられないくらいのバラエティーに富んでいるので一人ですべてを網羅することはまずできません。自分が何か考えたらその分前には進んでいますが、誰かと協力したらもっと広がりますよね。進む道を制限されてしまうという見方ももっともだと思いますが、それでも進んでいくのではないでしょうか。ちょっと気が向いたときに少しずつ進める、私にはそれができることで、いずれは自分が生きるということになるのではないかなと思っています。


こんにちは、エコ~るど京大・白井亜美と申します。今回、このSDGsインタビューのテーマは「身近な多様性」です。幸か不幸か私たちは本当に一部しか世界を認識できません。だから考えも行動も「不十分ではないか?」という指摘から逃れることはできません。ですがそれでも「自分は一人前のひとりの人間だ」と思って、毎日生き、いろんなことを考えるのではないでしょうか。私たちもまだまだ未熟ですが、隣にいる人がどれくらい自分と異なる見方を持っているか、ここに少しでも触れていただけたら幸いです。

 

 

インタビュー日:2019年12月24日

回答者:山田千聖(京都大学農学部3回生/エコ~るど京大)

 

 

Q:Goal06「安全な水とトイレを世界中に」の中で興味のあるテーマは何ですか?

 

私はトイレの問題に興味があります。トイレは絶対に一人になれる空間で、安心感がある場所である必要があるし、絶対みんな毎日使いますよね。今一番トイレに関して興味を持っていることは、女性が野外排泄しなければならず、そのためにレイプされること、そして学校のトイレが汚かったり整備されてなかったりするために女の子が学校にいけないことがあるということ。これを聞いたとき、ちょっとおかしいと思いました。「トイレがある」ということだけで全部ではないですが、解決されるのにそれが放置されているということは納得できません。この人たちは外で用を足したくてしている訳ではないのに、そうすることでこういう被害に遭うリスクが上がってしまうことはすごく理不尽だと思います。しかもトイレがあるということだけで例えば感染症にかかる人が減る、そうすると必要な医師の数も減るといったように、トイレが整備されるだけでいろんなところにメリットが生まれるのがすごいと思いました。

 

 

Q:SDGsが2030年までの目標達成を掲げていますが、この「世界トイレ事情」問題は2030年へ向けてどうなっていくものだと想定していますか?

 

途上国に関してはこの10年間でまずトイレがないという状態はなくなってほしい、それはできるのではないか、と思っています。非水洗トイレは完璧ではないですが、それがあることで水が汚染されるのは防げます。しかも(簡易的な非水洗トイレは) 力をいれて取り組んでいる企業も機関もあり、安い価格のものも作れるのではないか、できてほしいと思っています。本当は下水道が地球上の全ての地域で整備され、比較的きれいなトイレが使えることが理想ですが、それにはすごく時間がかかるし、2030年までにはおそらく無理、そしてそれがいつ達成されるかも正直私は想像できません。

日本にも汚いトイレは結構あるし、特に避難所のトイレはまだ課題があると思います。これを解決すれば次災害が起こったときに生きるしこれは10年あればできると思います。

 

 

Q:具体的にどんなことができると考えていますか?

 

それを今自分の中で考えているところで…。メーカーに入って営業して改修していくことも考えられるけどそれは非現実的です。最近は自治体自身が自分たちのイメージアップのためにトイレ改修を行うこともありますが、そこに力を入れない自治体もあります。そういうところはどうやったら変えていけるのかなと考えていますが、まだ答えは出ていません。日本の話になるとSDGsあまり関係なくなりますね。

 

 

Q:では2030年より先をもっと長い視点から眺めて想定する理想などありますか?

 

下水道が整備されてトイレが必要ということを地球上の全員がわかるようになり、トイレを設置・管理できたらいいのではないかなと思います。今は日本などの先進国の支援により途上国にトイレが作られていますが、それがいらなくなる、結局経済成長かもしれないですが、とにかく野外排泄はよくないから皆にとってトイレがあるということが当たり前になり、環境にも自分にもメリットがあるという認識が広がってほしいです。終わりはないかもしれないですね。わかってもらえないとトイレを家に設置しようと思わないので、わかってもらえたら純粋にトイレが普及しやすくなるし維持管理もしやすくなります。これは一例ですが、東南アジアでトイレの必需性を自分の中の価値観や認識に入れてもらうために、「トイレのある家庭はちゃんとしている家庭だ」という認識を広め、トイレの自発的な設置を促したそうです。これは人々のステータスを気にする心理を使っています。そういう感じでその地域の常識や日常の慣習に取り入れることが大事だと思っています。最新式ではなくても、ある程度はきれいなトイレが世界中にできたらいいなと思います。

 

 

Q:そんな風に具体的にトイレ問題について考え始めたきっかけとかってありますか?

 

大学生になって東南アジアに行ったときトイレが汚いことが気になりました。トイレがないことはないのですが、日本と比べたら汚くて、とても不快でした。私は観光地に行ったとき、トイレが綺麗かどうかでその場所の印象がかなり変わります。そのくらい観光地の要素の一つとしてトイレは重要なので、トイレが汚いことは観光地としてすごくもったいないことだと気づきました。そこからいろんなことに気づき始めたと思います。

 

 

Q:「世界トイレ事情」問題に取り組むにあたって主体はどこにあると思いますか?

 

主体は私です。私が日本のどこに行っても海外に行ってもきれいなトイレを使いたいので私が主体です。途上国にトイレを作ることでいろんな問題が複合的に解決されることも興味深いですが、私がトイレを作りたいと思う一番の理由は自分が使いたいからです

 

 

Q:そのテーマに向き合ったときに「SDGs」はどのように関わりそうですか?

 

貧困など関わる点は多いと思いますが、正直SDGsはどうでもいいと思ってしまいます。人間だからSDGsがどう主張しようとトイレは必要です。トイレを作るということに取り組んだ結果、SDGsのゴール達成につながるというだけのものではないでしょうか。

 

 

Q:Goal06の特徴は何だと思いますか?

 

課題がわかりやすいし、身近に感じやすいから取り組みやすいと思います。例えばジェンダー問題とかはバッシングされることも多いですが、トイレを作ることにはみんな賛成すると思います。確かに水洗トイレは水をたくさん使うからそんなにたくさん水を使えないと思っている途上国の人には賛成されないかもしれないですが、感染症などの話をすれば結構賛成してもらえる、必要だと思ってもらえるのではないでしょうか。

 

 

Q:最後に

 

「いちばん近くにあるもの」

 

水やトイレは私たちが生きていく上で絶対に必要なものであり、かつ毎日利用するとても身近なものです。だから、Goal06も私たちに1番近いものではないでしょうか。

 

 

 

(以下白井よりコメント)

ありがとうございました。

トイレの問題に対して取り組もうと考えたとき、その主体は自分自身だと割り切る潔さと周りの環境や他社に左右されない芯の強さが印象に残りました。ざっくりとした分け方ではありますが、例えば支援を受ける途上国の人、支援をする先進国の人、など何の領域、集団に属する人から派生しているとみなしているかは人によって違うと思います。それを自分のみに限定してしまえるということはきっと「自分」を大切にすることの意味(私は想像することしかできないのですが)を分かっている、肯定できているのではないかと思います。様々な領域の人や、集団がある中でやはり一番多くの時間を割ける、割いてしまうのは自分自身についてであり、それが毎日自分が生きていくということなのではないでしょうか。とすれば、そこを理解している人はある意味でプライベートな問題が干渉しないのではないか、その分トイレ問題に取り組む意志が強いのではないか、と思います。


こんにちは、エコ~るど京大・白井亜美と申します。今回、このSDGsインタビューのテーマは「身近な多様性」です。幸か不幸か私たちは本当に一部しか世界を認識できません。だから考えも行動も「不十分ではないか?」という指摘から逃れることはできません。ですがそれでも「自分は一人前のひとりの人間だ」と思って、毎日生き、いろんなことを考えるのではないでしょうか。私たちもまだまだ未熟ですが、隣にいる人がどれくらい自分と異なる見方を持っているか、ここに少しでも触れていただけたら幸いです。

 

 

インタビュー日:2020年1月16日

回答者:野々山千晴(京都大学法学部3回生/エコ~るど京大)

 

 

Q:Goal05「ジェンダー平等を実現しよう」の中で興味のあるテーマは何ですか?

 

私は性差別や性暴力をなくすための活動などをする団体に所属しています。最近フェニミズムが世の中で広く謳われ、今まで見過ごされてきた女性差別が指摘され始めています。例えば2019年に始まった#KuTooという運動はご存じでしょうか。「靴」と「苦痛」をかけた、日本の職場において女性がハイヒールやパンプスを履くことを強制されていることに対する抗議活動で、瞬く間に賛同を集めました。そして実際に、今年3月にJALが新制服の規定を「ヒールの高さは3〜4cm」から「ヒールは0cmから」に変更することを発表しており(※1)、社会に大きな影響を与えています。

しかしわたしは「ジェンダー平等を実現しよう」を目指すにはまだまだ未熟な部分がたくさんあると思います。女性を抑圧してはいけないという動き中で取り残されている人たちがいます。性の話はもっと広くてそもそも性の分け方は女性と男性だけじゃなくてもっとグラデーション的な話です。女性の権利を主張するうちに、当たり前とされている男女というカテゴリーだけでは掬いきれない人をすごく傷つけているということがあります。女性というフェニミズムの中心になってきた人たちは「シスヘテロ女性」という自分の体も心も女性で、好きになるのは男性という別の軸から見ればマジョリティに属する人たちです。例えばお茶の水女子大学が「体が男性でも心が女性である人も受け入れる」と発表したとき(※2)、フェニミストの中からも体が男性の人が入学することは怖いという主張が出てきました。それはトランス女性を排斥する主張であって今まで自分たちは(男性中心社会での)マイノリティだと主張してきたのに自分がマジョリティの側になったら簡単にマイノリティを抑圧してしまう、これはジェンダー平等の本質から外れてしまっているなと思います。この事件を見てから自分も自身のマジョリティ性で誰かを傷つけていないか常に気をつけなければいけないと気を引き締めています。

 

(※1)Buzz Feed News(2020)『日本航空がヒール着用規定を「廃止」へ #KuTooが始まって1年余、思い届く』最終閲覧日2020年4月1日

https://www.buzzfeed.com/jp/sumirekotomita/jal-kutoo

(※2)お茶の水大学(2018)『トランスジェンダー学生の受入れについて』最終閲覧日2020年3月25日

http://www.ao.ocha.ac.jp/menu/001/040/d006117.html)

 

 

Q:そのことに気づく何かきっかけがあったのでしょうか?

 

実際に性に関することで苦しんでいる方に会ったことが一番大きいと思います。例えば「性欲があること・人を好きになることが前提の社会」では生きにくいと感じる人に出会ってから、性欲があるという前提で苦しい思いをする人が目の前にいるかもしれない、と頭に浮かぶようになりました。実際に会ったことがなくても、と言うより気づいていないのだと思いますが、トランスジェンダーについてのビデオやエピソードを見てみるといいと思います。勉強になりますし、「自分は不便に思ったことがないからマジョリティに属している」ことに気づきます。

 

 

Q:SDGsが2030年までの目標達成を掲げていますが、この「ジェンダー平等」問題は2030年へ向けてどうなっていくものだと想定していますか?

 

私が話すには重いのですが…。でも世の中だんだんいい方向に向かっていると思います。例えば去年の大晦日に紅白のとりを務めた氷川きよしとミーシャが話題になりました。最近の氷川きよしはなりたいご自身の姿を表現してらっしゃって。髪を伸ばして化粧もして古典的な性のイメージを壊していくかのような印象を受けました。ミーシャもパフォーマンスにドラァグクイーンがバックダンサーとして登場したり、レインボーフラッグ(セクシャルマイノリティの連帯に使われてきたもの)が出てきたりしました。だから少しずつ世の中が変わろうとしていると思いましたし、それは今までずっと頑張ってきた人がいるからだと思います。また2030年は男女平等に関しては達成されていないとまずい状況になっているのではないかと思います。どんどん社会が女性差別に敏感になっています。これからもっと抑圧に対し声が上がるようになっていく、女性が働きやすい環境がもうちょっと整っていくのではないかなと思います。

 

 

Q:「ジェンダー平等」問題に取り組むにあたって主体はどこにあると思いますか?

 

活動の主体は個人でしょうか。皆が半径5メートル以内にいる人を傷つけないように動けば傷つく人が減るかもしれない、だから私はが、「ものすごく近くに性差別やセクシャリティで苦しんでいる人がいるかもしれない」という認識を持ったほうがいいと思います。特にマジョリティに属する個人個人にはマジョリティであることを自覚してマイノリティのことを勉強する責務があると私は思っています。

 

 

Q:あなたはこのことに対してどのように向き合っていこうと考えていますか?

 

そのままの私を無視して、世間の人が当たり前だと思っていることを押しつけられるのは、私がいないように扱われるのと同じでつらいことです。私はたまたま「当たり前」とはちょっと違うものをもって生まれたわけで私は別に悪くない、あなたと私の間にあるのは「たまたま」だけ。だから私が望むあり方は尊重されるべきであり、それで苦しまなければならないのはすごく不公平ですよね。自分が判断されるときに性別とか人種とか、自分が選べないものを基準にされるのが好きじゃない、すごくきらいです。女の子はピンクだよ、化粧しろといった考えを肯定する人たちに対して、化粧やめろなどとは思わないしそれはむしろ良くないと思いますが、私のような人間がいるということも知っていてほしいです。だから私は「私います!」とずっと言い続ける、「働きたいと思っている女性ここにいます!」とか「傷ついている女性ここにいます!」とか、言うだけではダメなのですが、ずっと言っていかなければいけないと思います。これが今私のやっていることです。

2030年の私はもう働いているので、経済面での格差やライフワークの面での格差が今より身近な問題になっていると思います。日本はジェンダーギャップ指数121位と成績が悪く(※3)、その中で足を引っ張っているのが経済部門と政治部門です。教育部門や医療部門に関しては、日本の成績はそこまで悪くないです。私たちが今まで生きてきたのは教育部門の世界だったから男女格差はそんなに近い問題ではありませんでした。けれども、その問題に関して当事者性がより広がるという気がしています。

 

(※3)World Economic Forum(2019)”Global Gender Gap Report 2020”最終閲覧日2020年3月25日

http://www3.weforum.org/docs/WEF_GGGR_2020.pdf

 

 

Q:Goal05の特徴は何だと思いますか?

 

難しいですね。取り組みやすい問題だとは思います。例えば海については全然わかっていない、よく対象のことがわかっていないでよね。けれども差別解消に反対する人はあまりいないと思います。よく議論は巻き起こるけど、それは制度の面での話であって、対象が良く分からない、何が正解かわからないGoalよりは何となく皆わかっていると思います

 

 

Q:最後に、Goal05を一言でいうと何ですか?

 

「『見なくても済むこと』に目を向けて」

 

マジョリティは見なくても、気づかなくても済んでしまうのだから、ただ生きているだけでは「見ざるを得ない」「気付かざるを得ない」マイノリティの苦しみを知ることはできません。マジョリティがマイノリティの苦しみを知ろうとしなければ、マイノリティの苦しみは取り除かれません。だからマジョリティは自分から見なくても済むことに目を向けていかなくてはならないのです。

 

 

 

(以下白井よりコメント)

ありがとうございました。

「自分は不便に思ったことがないからマジョリティに属していると認識する」という内容が印象に残りました。自分の身の回りにたくさんあるはずだけど普段は気づかないふりをしている他人の感じる不便さ、をざっくりと指摘されてしまったように思います。彼女はきっとマジョリティの当たり前を押し付けていると指摘すると思いますが、それでもなおそういうエピソードを見たり聞いたり、場合によっては調べたりして仕入れても、その当事者の人にこういう風にすればいいのではないか、こういう風に考えればよいのではないかと思ってしまう自分に何度も気づいて憂うような気持ちがします。ある面からみれば困っている人を放置しているとみられることですが、集団生活の中で配慮しあうことある程度は割り切って生活することも必要ではないかと自分にとっては正当な言い分を持ち出してこうすればいいと考えてしまう、避けなければと強くささやかれるのにしてしまう。それは私にとってこの問題が「自分が生きること」と等しいことではないからではないかと思いました。


こんにちは、エコ~るど京大・白井亜美と申します。今回、このSDGsインタビューのテーマは「身近な多様性」です。幸か不幸か私たちは本当に一部しか世界を認識できません。だから考えも行動も「不十分ではないか?」という指摘から逃れることはできません。ですがそれでも「自分は一人前のひとりの人間だ」と思って、毎日生き、いろんなことを考えるのではないでしょうか。私たちもまだまだ未熟ですが、隣にいる人がどれくらい自分と異なる見方を持っているか、ここに少しでも触れていただけたら幸いです。

 

 

インタビュー日:2019年12月27日

回答者:駒ヶ嶺光(京都大学農学部2回生/エコ~るど京大)

 

 

Q:Goal04「質の高い教育をみんなに」の中で興味のあるテーマは何ですか?

 

主としてキャリア教育です。将来どんなことがやりたいとか、どんな職業に就きたいとか、キャリアについて考えることの教育です。

 

 

Q:なぜそこに興味を持ったのですか?

 

大学生の多くは、大学に行くことは当たり前だと思ってきたと思います。けれど本当にそうでしょうか。

多くの大学生は、授業を受けて、課題もたくさんこなしてそれだけでも大変に思えるのに、バイトもしてサークルで楽しいことをして…。本当にそれでいいのでしょうか。社会人になる際に大学を卒業していた方が有利かもしれない。だからとりあえず単位は取って卒業する。それでもいいのかもしれませんが、AI時代にはどんな仕事が残るのかもわからないし、大企業に勤めたからといって安定かもわからない。では世の大学生は、将来につながる本当にしたい勉強を大学でしているでしょうか。皆がそういうわけでもないように見えます。私は浪人したのですが、先に大学生になった友達が「大学つまらない」「大学に行く意味が分からない」とつぶやくのを見ていて、何とも言えない気持ちになりました。そしてきっと就職も、本当に自分のやりたいことができるわけではない企業、たまたま知っていた企業、説明会とかで偶然出会った企業などに入って、入社後最初は雑務とかから始まって楽しくないな、みたいな。そういう人が多いのではないでしょうか。それでみんな人生楽しいの?と私は思います。

私は浪人の時に自分のやりたいことを楽しく仕事にしている人たちに出会い、こういう生き方もできるのだと気づきました。そしてそういう世界をもっとみんなにも知ってもらいたいです。自由に生きて良い、何でもできる、ということにもっと早く気づいていたら、私がいろいろ悩んでいたときももうちょっと違っていたんじゃないかと思います。生きるために働く、お金がなければ生きていけない、だから良い就職先を…というのは違うと思っています。親や自分の周りの大人がやっていることはモデル像になるかもしれない。けれど、本当は大学に行かなくても、自分のやりたいことやり通してちゃんとその中でスキルを身につけたなら会社も採用してくれるはずで、むしろこれからはそうでないとやっていけなくなると思います。主体性を殺してやるような仕事はこの先AIとかに代わられるかもしれないし、自分のやりたいことや自分にしか見いだせないような価値を持つことが必要ではないでしょうか。

 

 

Q:「キャリア教育」について考えるにあたって主体はどこにあると思いますか?

 

日本の中高生。どの国のおいてもキャリア教育は必要だと思いますが、日本人は特に「周りに倣え」、という風潮があるのもあって、私が見える範囲ではキャリア教育は日本の中高生にとって一番大事だと思っています。

 

 

Q:上の質問で挙げていただいた「主体」と「自分」にはどのような関係があると思いますか?

 

自分も割と当事者ですね。私も「主体」。大学生になっても新しい世界は見るし、現実、大学生は自分のキャリアをより現実感を伴って考えています。大学生が「主体」なのは今ここに存在する事実だと思います。

一方で今の中高生の世界は狭い。中高生のうちからいろんな世界を知って、大学生の自由な時間の使い方を考えられたら、と思います。だから、自分では中高生のキャリア教育に焦点を当てているのかもしれません。

 

 

Q:SDGsが2030年までの目標達成を掲げていますが、この「キャリア教育」問題は2030年へ向けてどうなっていくものだと想定していますか?

 

よく聞く話ですが、アメリカの大学などは入るのは簡単だけど卒業するのは大変と言われています。その人自身がどういう学びをしたいと考えているかを重視しているようです。日本でもAO・推薦入試が増えてきているのは、そういうところに日本も課題意識をもっているからでしょう。どういう学びをしたいのか、どういうことを学んでどう生きていきたいか、自分がどういう人間として生きていくのかを考えないといけない時期にあるのではないでしょうか。AI等にとって替わられる仕事もあるなかで人間としての自分にしか作り出せない価値を作り出せることが求められるのではないかと思います。

5年後の解決は難しそうですが、10年たったら可能でしょうか。ひと世代くらいたったら世の中は確実に変わっていく気がします。皆が「自分という存在」を自覚できているような雰囲気が社会に浸透するまでにはひと世代くらいかかると思うので、10年後どうなっているのかは想像がつきません。

 

 

Q:あなたはこのことに対してどのように向き合っていこうと考えていますか?

 

地元東京で、学校でも塾でもない中高生の第3の学びの場というものを今創っています。私の課題意識や理想とする場、中高大学生にとって今あるべきと思う価値をもつ場を創りたいと思っています。その活動にちゃんと関わっていきたいですね。

 

 

Q:気づくとか考えるとかじゃなくて実践することが重要ということでしょうか?

 

私は京都にいるので、この学びの場を創る活動をメインにはできないし、大学で勉強していることはまた別のことです。キャリア教育をメインに活動していこうというつもりはないですが、多様な生き方があってこういう生き方もできる、ああいう働き方もできるみたいなモデルをみせることがキャリア教育の中心だと思っています。だからそういうモデルとなる大人が中高生や大学生の周りにたくさんいて彼らに面白いと思ってもらえることが一番だと思うし、自分もそういう大人のひとりになりたいです。教育に携わりながら自分の専門領域もちゃんと持って、その専門領域の中で面白いと思ってもらえるような人間。教育を自分の専門にするのもそれはそれで面白い人間になれるだろうけど、その他に興味もあるし多様な大人がいることを伝えたいので、私も多様な大人の一人でありたいです

 

 

Q:Goal04の特徴は何だと思いますか?

 

教育はすべての根底にあります。だから教育を解決することで他のことにもつながっていきます。例えば、途上国支援でよくいわれることですが、サービスを提供するだけでは意味がなくて、その人たちがそれを使えるようになること、自分たちで生み出せるようになることが必要です。まずは教育から始めないといけないと思います。

キャリア教育で、皆の、若者の社会に対するモチベーションが変わるはずです。そういう若者たちが増えて自分のやりたいことをやれるような社会になったら、日本全体が幸せになると思うし、本当の意味で豊かな国になって、いろんな問題も解決していくのではないでしょうか。

 

 

Q:最後に、Goal04を一言でいうと何ですか?

 

「すべての道は教育から通ずる」

 

私たちが生きる社会は私たち一人ひとりが作り上げています。そしてその人々は「教育」を受けて、それぞれの価値観を形成していきます。その価値観が社会を動かす原動力です。「教育」が社会のすべての原動力の根本になっているといっても過言ではないと思います。

 

 

 

(以下白井よりコメント)

ありがとうございました。

自分がインタビューしながらもう「子ども」ではない自分を意識させられたように思いました。成人式も終え自分よりも後の世代、若い世代から大人とみられる立場にいる自分。しかし同時に私は自分が生きていく糧となる多様な「大人」を求めてしまう「若者」でもあります。そういう多様な大人の存在の認識はある意味では周りの大人への甘えであり、またある意味では周りの大人に対する敬意であり人生の終わることのない学びを自覚した姿勢ではないでしょうか。今この瞬間に社会で働くことを強いられないという特別に待遇されたような立場にある自分、社会やこの先おそらく長く続いていくはずの人生を前に生きるとはどういうことか、キャリア教育はそういうことを担っているように思いました。