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トップページ  »  問う!  »  京大の先生と考えるSDGs  »   【4】最も身近で最も答えの見えない問い(南部 広孝 教授)

持続可能性・SDGs

2019年5月16日

【4】最も身近で最も答えの見えない問い(南部 広孝 教授)

Goal4「質の高い教育をみんなに」

南部 広孝 教授 (教育学研究科)

 

Q南部先生がされている研究について教えてください。

比較教育学という分野の研究をしています。社会の中には考え方や価値観の違いによる境界線が存在しますが、比較教育学は国や社会、文化といった境界線を意識しながら教育について考える分野です。この分野の中でも主に、中国の高等教育について研究しています。また、少し前まで、社会主義体制だった国や現在社会主義体制を採っている国の教育を扱い、民主化など社会のあり方が変わっていく中で、教育のあり方がどう変わっていくかについても研究をしていました。中国の研究が中心ですが、そのほかの国と比較をする中で何か共通の法則が見えないかと研究をしています。最近はこれらのことを中心に大学院教育などもう少し広く比較ができないかと考えています。

今考えていることとしては、社会の中に存在する境界線の引かれ方がどんな風になっているのかということと、それをどんなふうに考えて行ったらいいのかということです。

 

Qこの研究を始められたきっかけを教えてください

中国は大学に入る前から興味がありました。あるテレビ番組で中国の広い平野一面に広がる田園風景を見て、中国にすごく関心を持ちました。教育に関しては、もともと中学か高校の教師になりたいと思っていました。しかし京大に入ったことで、教育そのものについて考えることになったので、昔から興味のあった中国の教育について研究をすることにしました。

もう一つのきっかけとしては、京大に教員として帰ってきたことが大きいと思います。京大の中では色々な先生や、色々なテーマを抱えた院生たちと話をします。話をする中で私も様々なことを考えます。インドやエジプトといった院生が持ってきたテーマを集めて、今は一つのチームでやっています。そうすると、僕が中国を見ていただけでは分からない色々なことが世界中にあることを知り、それらをうまいこと組み合わせると違うものが見えてくるという経験をたくさんします。そうすると中国の研究からもう一つメタなところに上がることができます。このメタなレベルでの話が通じるということは、京大に来た大きなメリットだと思います。僕自身はやりたいと思うことだけをやってきたつもりですが、振り返ると色々なところから刺激を受けて、自分の核はずっと持ったままで、それを少しずつ広げていく経験をさせてもらっていると思っています。

 

Q質の高い教育についてどう思われますか?

教育の質って本当に難しいことだと思います。SDGsやこういったものでは、数値目標を設定するのですが、教育とは数値で測りきれるものではありません。ここでの一つの考え方としては、数値では測れない教育はあるけれど、達成度をはかるために数値で測れるもので勝負するというものです。確かに測り方を工夫すれば、単なる狭い意味での学力だけではなく、考え方や論理的な説明能力などまでは測れるかもしれません。しかし一定のラインを超えてくると、主観的なものにならざるを得ません。そうなってくると数値化すること自体の意味が分からなくなってきます。今のSDGsではこの段階を超えられていないのではないかと考えます。学力などは比較的数値化しやすいと思いますが、学力だけをつけさせれば、それで質が高いと言えるかというと違和感が残ります。

もう少し引いて考えてみると、そもそも学校に行くことはそれほど正しいことなのか、ということもあります。途上国の開発では、学校を建てて子供達を学校に行かせることがプロジェクトになったりします。その一方で日本などの先進国では、学校に行かない子供達に、学校教育ではないような形の教育を受けさせたりしています。つまり先進国の中では学校教育の限界が見えているわけです。学校教育の限界を越えるために何をするか、ということを国内では考えています。その一方で途上国の教育を考える時には、学校をとにかく建てましょうとなります。そこの矛盾に僕はすごく違和感があります。学校にももちろん重要な役割はありますが、学校を建てれば問題が解決すると言う短絡的な発想には賛成しません。学習者一人一人にとって一番いい教育は何かと考えると、必ずしも学校を建てることではないと思います。もちろん学校を建てることでより望ましい学習成果を得られる人が多数いるということは、おそらく正しいことです。そこまでは否定しません。それでも就学率95%を100%にしたことで学習者一人一人が幸せになったのかと言うと、必ずしもそうではありません。質の高い教育という目標に対して設定されている指標を見ると、学習者一人一人にとって質の高いと言うよりも、集団としてどれくらい方向付けられたかと言うところに焦点が置かれているのではないかと感じます。それで質の高い教育と言うのは、少し気持ち悪さがあります。極端に言えば、一人一人にとって質の高い教育が施されることが必要です。それは必ずしも学校教育である必要はないのではないかと考えています。

SDGsの目標の中で言われる質の高い教育とは、質が高い教育と言われるものの中で、みんなで妥協しあって抽出した核の部分だけだと思います。その核も当然何かの価値に裏打ちされているものです。この価値は誰もが納得できるものかと考えると、多くの人のなのか、世界の中で強い人のなのか、といった何かがあるのではないかと思います。みんなと同じようにしてあげることが必ずしもその人を幸せにするとは限らないし、線を引くことで私たちとは違うものとしてしまうのも望ましくないかもしれません。こういった難しさがあります。これらのことは、これから考えていかなければならないことです。

 

Q 新入生に向けて一言お願いします。

たくさん対話をしてほしいです。ここでの対話には二つあります。一つはいろんな人と対話をしてほしいということで、もう一つは本を読んでほしい、本の著者と対話をしてほしいということです。論文ではなく、本です。論文は相当焦点が絞られたことを切り出して、その論点に対して自分が言いたいことを一言述べるというものです。著者と対話するにはそれでは短いと思います。本は一定の長さがあって、何をきっかけにして、何に取り組んで、どんな風に取り組んで、どんな風に考えて、どんな結論を導いたのかという一塊の思考のプロセスが記されています。本は論文とは質が違うものです。最近の学生はネットでお手軽に論文を探しきて、「論文では・・・」とやるのですが、何かを考えるというときに横に置いておくべきものは、論文ではなく本ではないかと思います。そういう意味で本の著者と対話をしてほしいということが一つ目です。

もう一つの色々な人との対話をしてほしいということですが、自分と異質なものと触れてほしいということです。日本国内にも自分と違う人も物もたくさんあると思います。そういうものに対して安易に線を引いて、自分とは違うものとして排除するのではなく、線を飛び越えてみて、何が違うのか、解り合えるものは無いか、どうやったら分かり合えるのかということを考える経験をしてほしいです。社会に出れば、否応なしにそういうことをさせられるか、もしくはそういう人たちと関わらなくなります。大学生の間は比較的時間があって、まだチャレンジをできるチャンスだと思います。だから、自分の周りにあらかじめ線を引くのではなく、もう少しそれを飛び越えるチャレンジをしてもらいたいと思います。

 

 

感想

今回のインタビューでは、「質の高い教育とは」という非常に抽象的な質問に対してお答えいただきました。学校に行くこと自体が正しいかどうかなど、我々の既存の価値観ではなかなか問題視することのなかった観点を提示していただきました。

今回のお話の中で印象に残ったのは「集団として方向付けられる」という言葉です。これは4番の教育だけの問題ではなく、SDGsの17項目全てにおいて当てはまることだと感じました。我々は国連が発表した目標としてSDGsを認識し、世界一般の共通理解としてSDGsの達成を目指そうとしています。しかし、これは国連が作った目標に過ぎず、自分の価値観に近いものとして捉えるのは、如何なものかという考えに至りました。こう言ったことから、SDGsと宗教が似たもののように感じました。宗教の考えを否定するつもりは全くありませんが、宗教を盲信するのと同じく、SDGsを愚直に正しいものと断定するのは危険であるような気がします。教祖が作った経典だから正しいとすることと、国連が発表した目標だから正しいとすることの違いがわからなくなりました。それでもSDGsの根底に存在するものは人間にとって達成すべき共通の課題なのだと思います。SDGsを自分自身の価値観と照らし合わせて考えること、それから他の人の価値観で捉えたSDGsを受け入れること。これらを通じて目指すべきゴールの形を考えていくことが、これから必要なのではないかと感じました。

(山口真広)