こんにちは、エコ~るど京大・白井亜美と申します。今回、このSDGsインタビューのテーマは「身近な多様性」です。幸か不幸か私たちは本当に一部しか世界を認識できません。だから考えも行動も「不十分ではないか?」という指摘から逃れることはできません。ですがそれでも「自分は一人前のひとりの人間だ」と思って、毎日生き、いろんなことを考えるのではないでしょうか。私たちもまだまだ未熟ですが、隣にいる人がどれくらい自分と異なる見方を持っているか、ここに少しでも触れていただけたら幸いです。
インタビュー日:2020年1月16日
回答者:野々山千晴(京都大学法学部3回生/エコ~るど京大)
Q:Goal05「ジェンダー平等を実現しよう」の中で興味のあるテーマは何ですか?
私は性差別や性暴力をなくすための活動などをする団体に所属しています。最近フェニミズムが世の中で広く謳われ、今まで見過ごされてきた女性差別が指摘され始めています。例えば2019年に始まった#KuTooという運動はご存じでしょうか。「靴」と「苦痛」をかけた、日本の職場において女性がハイヒールやパンプスを履くことを強制されていることに対する抗議活動で、瞬く間に賛同を集めました。そして実際に、今年3月にJALが新制服の規定を「ヒールの高さは3〜4cm」から「ヒールは0cmから」に変更することを発表しており(※1)、社会に大きな影響を与えています。
しかしわたしは「ジェンダー平等を実現しよう」を目指すにはまだまだ未熟な部分がたくさんあると思います。女性を抑圧してはいけないという動き中で取り残されている人たちがいます。性の話はもっと広くてそもそも性の分け方は女性と男性だけじゃなくてもっとグラデーション的な話です。女性の権利を主張するうちに、当たり前とされている男女というカテゴリーだけでは掬いきれない人をすごく傷つけているということがあります。女性というフェニミズムの中心になってきた人たちは「シスヘテロ女性」という自分の体も心も女性で、好きになるのは男性という別の軸から見ればマジョリティに属する人たちです。例えばお茶の水女子大学が「体が男性でも心が女性である人も受け入れる」と発表したとき(※2)、フェニミストの中からも体が男性の人が入学することは怖いという主張が出てきました。それはトランス女性を排斥する主張であって今まで自分たちは(男性中心社会での)マイノリティだと主張してきたのに自分がマジョリティの側になったら簡単にマイノリティを抑圧してしまう、これはジェンダー平等の本質から外れてしまっているなと思います。この事件を見てから自分も自身のマジョリティ性で誰かを傷つけていないか常に気をつけなければいけないと気を引き締めています。
(※1)Buzz Feed News(2020)『日本航空がヒール着用規定を「廃止」へ #KuTooが始まって1年余、思い届く』最終閲覧日2020年4月1日
https://www.buzzfeed.com/jp/sumirekotomita/jal-kutoo
(※2)お茶の水大学(2018)『トランスジェンダー学生の受入れについて』最終閲覧日2020年3月25日
http://www.ao.ocha.ac.jp/menu/001/040/d006117.html)
Q:そのことに気づく何かきっかけがあったのでしょうか?
実際に性に関することで苦しんでいる方に会ったことが一番大きいと思います。例えば「性欲があること・人を好きになることが前提の社会」では生きにくいと感じる人に出会ってから、性欲があるという前提で苦しい思いをする人が目の前にいるかもしれない、と頭に浮かぶようになりました。実際に会ったことがなくても、と言うより気づいていないのだと思いますが、トランスジェンダーについてのビデオやエピソードを見てみるといいと思います。勉強になりますし、「自分は不便に思ったことがないからマジョリティに属している」ことに気づきます。
Q:SDGsが2030年までの目標達成を掲げていますが、この「ジェンダー平等」問題は2030年へ向けてどうなっていくものだと想定していますか?
私が話すには重いのですが…。でも世の中だんだんいい方向に向かっていると思います。例えば去年の大晦日に紅白のとりを務めた氷川きよしとミーシャが話題になりました。最近の氷川きよしはなりたいご自身の姿を表現してらっしゃって。髪を伸ばして化粧もして古典的な性のイメージを壊していくかのような印象を受けました。ミーシャもパフォーマンスにドラァグクイーンがバックダンサーとして登場したり、レインボーフラッグ(セクシャルマイノリティの連帯に使われてきたもの)が出てきたりしました。だから少しずつ世の中が変わろうとしていると思いましたし、それは今までずっと頑張ってきた人がいるからだと思います。また2030年は男女平等に関しては達成されていないとまずい状況になっているのではないかと思います。どんどん社会が女性差別に敏感になっています。これからもっと抑圧に対し声が上がるようになっていく、女性が働きやすい環境がもうちょっと整っていくのではないかなと思います。
Q:「ジェンダー平等」問題に取り組むにあたって主体はどこにあると思いますか?
活動の主体は個人でしょうか。皆が半径5メートル以内にいる人を傷つけないように動けば傷つく人が減るかもしれない、だから私は皆が、「ものすごく近くに性差別やセクシャリティで苦しんでいる人がいるかもしれない」という認識を持ったほうがいいと思います。特にマジョリティに属する個人個人にはマジョリティであることを自覚してマイノリティのことを勉強する責務があると私は思っています。
Q:あなたはこのことに対してどのように向き合っていこうと考えていますか?
そのままの私を無視して、世間の人が当たり前だと思っていることを押しつけられるのは、私がいないように扱われるのと同じでつらいことです。私はたまたま「当たり前」とはちょっと違うものをもって生まれたわけで私は別に悪くない、あなたと私の間にあるのは「たまたま」だけ。だから私が望むあり方は尊重されるべきであり、それで苦しまなければならないのはすごく不公平ですよね。自分が判断されるときに性別とか人種とか、自分が選べないものを基準にされるのが好きじゃない、すごくきらいです。女の子はピンクだよ、化粧しろといった考えを肯定する人たちに対して、化粧やめろなどとは思わないしそれはむしろ良くないと思いますが、私のような人間がいるということも知っていてほしいです。だから私は「私います!」とずっと言い続ける、「働きたいと思っている女性ここにいます!」とか「傷ついている女性ここにいます!」とか、言うだけではダメなのですが、ずっと言っていかなければいけないと思います。これが今私のやっていることです。
2030年の私はもう働いているので、経済面での格差やライフワークの面での格差が今より身近な問題になっていると思います。日本はジェンダーギャップ指数121位と成績が悪く(※3)、その中で足を引っ張っているのが経済部門と政治部門です。教育部門や医療部門に関しては、日本の成績はそこまで悪くないです。私たちが今まで生きてきたのは教育部門の世界だったから男女格差はそんなに近い問題ではありませんでした。けれども、その問題に関して当事者性がより広がるという気がしています。
(※3)World Economic Forum(2019)”Global Gender Gap Report 2020”最終閲覧日2020年3月25日
http://www3.weforum.org/docs/WEF_GGGR_2020.pdf
Q:Goal05の特徴は何だと思いますか?
難しいですね。取り組みやすい問題だとは思います。例えば海については全然わかっていない、よく対象のことがわかっていないでよね。けれども差別解消に反対する人はあまりいないと思います。よく議論は巻き起こるけど、それは制度の面での話であって、対象が良く分からない、何が正解かわからないGoalよりは何となく皆わかっていると思います。
Q:最後に、Goal05を一言でいうと何ですか?
「『見なくても済むこと』に目を向けて」
マジョリティは見なくても、気づかなくても済んでしまうのだから、ただ生きているだけでは「見ざるを得ない」「気付かざるを得ない」マイノリティの苦しみを知ることはできません。マジョリティがマイノリティの苦しみを知ろうとしなければ、マイノリティの苦しみは取り除かれません。だからマジョリティは自分から見なくても済むことに目を向けていかなくてはならないのです。
(以下白井よりコメント)
ありがとうございました。
「自分は不便に思ったことがないからマジョリティに属していると認識する」という内容が印象に残りました。自分の身の回りにたくさんあるはずだけど普段は気づかないふりをしている他人の感じる不便さ、をざっくりと指摘されてしまったように思います。彼女はきっとマジョリティの当たり前を押し付けていると指摘すると思いますが、それでもなおそういうエピソードを見たり聞いたり、場合によっては調べたりして仕入れても、その当事者の人にこういう風にすればいいのではないか、こういう風に考えればよいのではないかと思ってしまう自分に何度も気づいて憂うような気持ちがします。ある面からみれば困っている人を放置しているとみられることですが、集団生活の中で配慮しあうことある程度は割り切って生活することも必要ではないかと自分にとっては正当な言い分を持ち出してこうすればいいと考えてしまう、避けなければと強くささやかれるのにしてしまう。それは私にとってこの問題が「自分が生きること」と等しいことではないからではないかと思いました。