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Goal15「陸の豊かさも守ろう」(西本早希)

2020.04.16

学び

こんにちは、エコ~るど京大・白井亜美と申します。今回、このSDGsインタビューのテーマは「身近な多様性」です。幸か不幸か私たちは本当に一部しか世界を認識できません。だから考えも行動も「不十分ではないか?」という指摘から逃れることはできません。ですがそれでも「自分は一人前のひとりの人間だ」と思って、毎日生き、いろんなことを考えるのではないでしょうか。私たちもまだまだ未熟ですが、隣にいる人がどれくらい自分と異なる見方を持っているか、ここに少しでも触れていただけたら幸いです。

 

 

インタビュー日:2020年1月15日

回答者:西本早希(京都大学農学部3回生/エコ~るど京大)

 

 

Q:Goal15「陸の豊かさも守ろう」の中で興味のあるテーマは何ですか?

 

意味のある植林をしているかについてです。日本の戦後の植林、スギやヒノキをいっぱい植えてみたけれど、現状として日本の森林がうまく回っていない状態、しかも花粉症の症状を訴える人ばかりの状態、それってどうなんだと思うところがあります。先日聞いたことですが、「砂漠化防止のため砂漠に植えられる木があり、それは(砂漠のような)限界条件でも生長しやすい植物体で有名らしい。でも生えてきたら棘があり人々が利用できるような木ではなかった。棘が痛くて例えば中に入って農業したり生物が住んだりできなかった。だから最終的には燃やすしかなかった」。これでは意味がないですよね。なんかいいことをやろうと思っても結局結果として出てきたものをうまく利用できていないのではないでしょうか。

 

 

Q:SDGsが2030年までの目標達成を掲げていますが、この「植林」問題は2030年へ向けてどうなっていくものだと想定していますか?

 

多分お金をかければ形としては、数字としては、達成できるでしょう。でもそれが「2020年まで」とか「2030年まで」というところに落ちてしまいそうですね。つまり2030年までに達成しようと思って頑張ってやったとしてもその先20年30年後に「あれって結局よかったのか」と考えそうだと思います。たぶんターゲット15-3【2030年までに砂漠化に対処し、砂漠化、干ばつ及び洪水の影響を受けた土地などの劣化した土地と土壌を回復し、土地劣化に荷担しない世界の達成に尽力する。】といったところを多分目指していくべきだと思います。単に森林を増やすだけでなく、20年後30年後、もっともっとそれ以上持続できる森林や土地をつくることが重要ですよね。

 

 

Q:持続可能性とはどういう意味だと思いますか?

 

ターゲットに書いてあるけれど森林の経営ではないでしょうか。人間が入ってその森林を持続させようっていうのが森林の経営だと思います。多分もともと森って人間が入らなくてもまわるもので、そこでいろんな動植物の複雑な関係がうまい具合に、いい塩梅で成り立っているからこそ、人間の手を必要とせずに持続しているのではないでしょうか。ここから人間が植林してさらに森林を増やして、しかもその森林を持続させていこうとしたところで、この理解できない複雑性をつくり上げられるのかという問題があると思います。人間の欲が出ると難しいですよね。

上手く森の中で生活している民族だっているわけですよね。このように生活すれば持続するだろうという例はきっと世界の中にはたくさんあると思います。ですが日本人みたいに便利さを手に入れてしまった人間、森から離れて森を一回破壊してしまったような生活をしてきた人間にとっては多分我慢しないと無理だと思います。しかし何も考えずにそのまま日本人が生きていったら同じ過ちを繰り返すだけです。かといって我慢して森の中で生活する民族に近づく必要はないと思います。今までは森林を破壊して海外の森までも使って日本人は生活してきたわけだから、我慢するよりももうちょっと気を付ける、何か折り合いをつける付き合い方を模索するべきではないでしょうか。

 

 

Q:「日本の持続可能な森林」問題に取り組むにあたって主体はどこにあると思いますか?

 

いわゆる森里海にいる人たちという感じですね。私は今京都大学にいてあまり森に囲まれている感じはしていません。実感がないだけでどこかで恩恵を受けているとは思いますが…。自分くらい遠くにいる人ではなくて、もっと実感としてその森を使っている人たち、里に住んでいる人たち、そこから流れてきた川とか海とかを利用している人たちの方が結局実感を持って活動できて、自分事でその後の変化っていうものを感じ取れると思います。私が植林したところで植えて満足してしまう。そこで生計を立てている人たちがやることによって、問題が見えてきたりもっといい方法が見つかったりする気がします。

 

 

Q:上の質問で挙げていただいた「主体」と「自分」にはどのような関係があると思いますか?

 

地元の山で、地元の海でと言われると心理的にすごく近く感じます。たぶんそれはまだ森里海にいる感覚に近いのかなと思います。しかし何か行動といわれると多分しないでしょう。今現状どうで、どういう対策があって、と結局頭で考えるくらいになるのではないでしょうか。これから自分がどういう研究テーマをもっていくかによっても変化してくると思います。例えば自分の専門知識が使えるなら、自分が大切にしたいことであるし、もっとやりたい、関わりたいと思います。でも全くの専門外は中途半端な知識しか持っていないから、その活動は本当のところ意味があるのか、という疑問が生まれてくるかもしれないです。私は懐疑的な見方から入ることがあるので、10年20年を想定できるくらいには詳しくないと実際に関わろうとは思わない、信じきれないのではないでしょうか。安易に専門家や知識人が「これが正解だ」と言うから自分も賛同するというのは何か違うかなと思います。

先進国に行けば行くほど、街に行けば行くほど森林保護の問題は後回しにされるのではないでしょうか。日本は森林面積が大きい分、国としては広く関係あるかもしれないけど、この問題は実感する人が限られる気がします。実際にそんなにエコ~るどの活動にも出てこないので。ニュースや授業で聞いて皆が危機を感じるかもしれないですが、実際何もしないのではないでしょうか。

 

 

Q:最後に、Goal15を一言でいうと何ですか?

 

「森林に最大の尊敬を」

 

森林は私たちに森林資源を与えるだけでなく、生態系や川や海などの水環境の保護の役割を担っています。いわば森林の保護は地球全体の保護に繋がりますが、その規模の大きさ故に保護活動は容易ではありません。着実に保護活動を続けるために、まずは最大の尊敬を持たなければならないだろう、と考えます。

 

 

 

(以下白井よりコメント)

ありがとうございました。

実感する人が限られる、語っていましたがこれは日本の森林問題だけでなくすべてのことについて言えることなのではないでしょうか。たまに情報を目にしたり耳にしたりするような人は思い出した瞬間は危機感を持っても、危機感を持ったまま生活しているわけではない。全然「やばい」と思って生きていないのではないでしょうか。自慢できることでは全くないのですが、私も問題を見ず、悩みなく生きている一人なのです。森林が維持できないことでそこを住処とする動物が絶滅の危機に遭っているとよく報道されます。例えばメダカや蝶など枚挙にいとまなく存在しますが、そういった情報に会って「大変だ」、「かわいそう」などと思ってしまうこともあるでしょう。でもその時きっと檻の外から状況を眺めているだけでその人はその問題に全く巻き込まれていないし、巻き込まれようともしていないように見えます。だからといってすべてのことに対して危惧することも不可能なのではないでしょうか。今の世の中には情報に溢れていて心配できることが多すぎるように思います。だから実感する人が限られるなかで当事者意識のある人がこの事実にどう向き合うか、この取り組みが必要なのではないでしょうか。

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