私たちの研究室では、森林から中山間地、牧場、水圏にいたる生物圏をフィールドに、生物圏における様々な情報を取得、解析することをテーマとした研究・教育活動を行っています。その中で特に水圏においては、バイオロギングという新しい手法を応用して、国内外の様々なフィールド、対象種に関する研究を行ってきました。バイオロギングとは、生物の生態や行動を計測する手法として、特に、直接目での観察が困難な水圏に生息する動物に用いられる計測手法です。超小型のデータロガーや発信機などを対象動物に装着して、自由に泳ぎ回りながら周辺の環境や動物自信の生態情報を収集します。私たちは、水圏に生息する動物の中でも、人間の経済活動によって生息が脅かされているといわれているウミガメ、メコンオオナマズ、ジュゴンなどの絶滅危惧種を対象としてタイ国をフィールドとした調査を行ってきました。
1999年にタイ国政府の要請に応えて開始したプロジェクト、SEASTAR2000 (Southeast Asia Sea Turtle Associative Research since 2000)は、当時、エビトロール網によるウミガメの混獲を問題とした米国政府によるエビの輸入禁止通告に対して、タイ国政府がウミガメの回遊経路を明らかにして、混獲を回避する対策を講じるために始まりました。タイ湾ならびにアンダマン海でアオウミガメの回遊経路を人工衛星テレメトリー(アルゴス送信機)で追跡しました。ここで、私たちがウミガメの追跡に使ったアルゴス送信機の説明をしましょう。“アルゴス”、それはギリシャ神話に登場する巨人で全身に百の目を持ち、しかもそれらの目は交代で眠る為に、彼自身は常に目覚めている、つまり、“アルゴス”には時間的にも空間的にも死角が無い。大海原を回遊するウミガメ、大陸から大陸へと渡る鳥類などの追跡に大活躍のアルゴス送信機は、その名のとおり、地球上のあらゆる場所にあっても見逃すことはない追跡システム。その原理は次のとおりです。地上を見下ろしながら約850kmの上空を一周約102分で地球を周回している人工衛星。この衛星がアルゴス送信機からの信号電波を待ち受けています。信号電波は人工衛星で受信される時、ドップラー効果によって受信周波数が変化します。その変化をうまく利用すると送信機の位置が計算できるのです。カーナビで用いられるGPSと違うところは、人工衛星は1基で良いこと、GPSは少なくとも同時に4基の人工衛星が必要です。またGPSは自分の位置は分かりますが、その位置情報は通報しないかぎり第3者に報せることができません。一方、アルゴス送信機の場合は、電波を発信しただけで、第3者にその位置を知らせることができるので、野生動物の追跡にはもってこいのシステムなのです。
アルゴス送信機を産卵のために上陸したアオウミガメの甲羅に接着剤で取り付けて放流しました(写真)。その結果は図のとおりです。図aから、放流地点のタイ湾クラム島から泳ぎだしたアオウミガメは様々な海域へと移動していくことが明らかになりました。すなわち、南下してマレー半島沿いをシンガポールへ向かう個体、沿岸を伝ってカンボジア、ベトナムへと向かう個体、そしてカンボジアまで沿岸域を移動し、その後は東へスールー海へと向かう個体などです。一方、図bから、アンダマン海では放流地点のフーヨン島を離れた個体はほとんどすべてがアンダマン海を越え、一部はニコバル諸島を経由してアンダマン諸島へと辿り着きました。唯一、1個体だけマレー半島へ移動し、数度に亘ってフーヨン島と往復するという興味深い回遊をしました。これらの結果から、タイ国沿岸で産卵上陸するアオウミガメは様々な海域を生息場とし、産卵のためだけにタイ国の沿岸へ戻ってくることが明らかになった訳です。これらのアオウミガメを保護するには、沿岸国のタイ国だけではなく、本来の生息海域である近隣諸国においても協力して保護を図っていかねばならないということが明らかになりました。
私たちはこうした結果を踏まえて、近隣諸国の研究者や行政担当者が一同に介して情報交換を行うことが重要と考え、2000年から毎年、SEASTAR2000に関するシンポジウムを開催しています。次回は10回目の記念会議をプーケットで開催する予定です。またシンポジウムで発表された論文はプロシーディングスとして取りまとめ、毎年発行するとともに、京都大学学術情報リポジトリで広く公開しています。
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/44071