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生物音痴が考える生物多様性/河野 泰之【京都大学東南アジア研究所】(No.7)

2010.12.20

学び

なぜ生物多様性が重要なのかという問いに答えようとする本は数多ある。多くは、生物学や生態学を専門とする研究者の方々が著したものである。いずれも博識に裏打ちされた素晴らしいものである。だから、これらを読めば、生物多様性が重要であることを左脳では理解できる。しかし右脳では分からない。なぜか。著者に落ち度があるわけではない。私の感受性が悪いからである。私は生物音痴である。昆虫少年でも、釣り少年でもなかった。景観には興味をもち感動もするが、それを構成する個々の生物には思いが及ばない。生き物オタク(失礼!、でも敬意を込めた呼び方です)には当然のことが、生物音痴にはどうしても分からない。かつ、困ったことに、これまでの私の限られた観察によると、先進国の人々や都市で生活する人々の過半は生物音痴である。生物音痴の心には、生き物オタクの思いがなかなか響かない。

とはいえ、生物音痴であることに胡坐をかいているのはただの怠慢である。この思いを強くしたのは、もう20年ほどまえである。当時、灌漑工学を勉強していた私は、中西準子先生が書かれた短文に出会った。中西先生は水質問題にリスク評価を導入し、社会に役立つ工学研究のエースとして活躍しておられた。その中西先生が、長良川のサツキマスについて書かれた一文である。長良川は、ダムや締切り堰のない稀有な河川であり、サツキマスという回遊性の魚が棲んでいる。サツキマスは、河川で孵化し、海に出て成長し、河川に戻って産卵する。この川に利水と治水を目的とする河口堰の建設が計画され、それに対して大きな反対運動が起こっていた。大規模公共工事を強行しようとする政府とそれに反対する市民運動という、おなじみの構図である。市民運動の論拠の一つがサツキマスの回遊が阻害されるということだった。原文が見つからないので引用することができないが、中西先生も、当初は、利水や治水の効果を検証することと比べて、サツキマスの生息に与える影響を検討することの重要性を理解できなかったそうだ。しかし、長良川の生態系を学ぶにつれて、サツキマスを生息させ続けることがきわめて重要であることが分かったという趣旨のことを述べておられた。すなわち、生物多様性が重要であることを分からないのは無知だからであり、十分な知識を身につければ自ずと理解できるというのである。政府とも市民運動とも常に適度な距離を保つ中西先生の言葉を、研究者として真摯に受け止めようと思った。

その後、私の研究関心は、農業や森林利用、そして沿岸域生態系へと展開していった。自然生態系への人為的な介入が生物多様性をどのように変化させるのか、農業生態系はどの程度の生物多様性を有しているのか、といったテーマは避けて通ることができない中心的な研究課題となった。相変わらず生物音痴の私は自ら生物多様性を調べることはできないが、心やさしい同僚に支えられて、生物多様性を論じるようになった。とはいえ、生物多様性の重要性を、まだ左脳でしか議論できていない自分自身を常に感じていた。

ところが最近、少しずつ、自分自身が変わり始めているのではないかと思っている。何がきっかけとなったのかは、はっきりとは自覚できていない。いろいろな思考が重なった結果だと思う。『ハチはなぜ大量死したのか』(ローワン・ジェイコブセン著、2009年、文藝春秋)を読んでカリフォルニアにおけるアーモンド生産がミツバチなくして成り立たないことを知った。『奇跡のリンゴ』(石川拓治著、幻冬舎、2008年)を読んで、化学肥料により作物の栄養状態を最適に保ち農薬により病虫害を防ぐという近代農学のアプローチを相対化することを考えた。いずれも、農業生産が、これまで私の視野に入っていなかった生物の働きのもとで成り立っていることを教えてくれた。とすると、その生物を支えている環境は何か。その生物の生息も別の生物によって支えられているのではないか。こう考えると、生態系における、生物音痴には無限に見える生物の連鎖が、農業生産を支えていることになる。

このような視点から東南アジアにおける農業を眺めなおすと、人々が生きていくための農業を支えているのは、少しの技術と生態系のもつ大きな生物多様性であると考えるようになってきた。私の右脳に生物多様性が入り込んできたのである。これはまだ、左脳では十分に検証できていない。しかし、これが本当だとすると、これまでの作物を対象としてきた農学から生態系を対象とする農学への転換を図るという、とてつもなく大きな話に展開する可能性を秘めている。20年前の中西先生の言葉に応えるときがようやく来たのだろうか。

タイ東北部の水田。ミミズやタニシ、カニなどの小動物が 生息し、ナンゴクデンジソウなどの水田雑草が繁茂する。

( 『 京都大学環境報告書2010 』 より )


  • 著書: Ecological Destruction, Health, and Development: Advancing Asian Paradigms(共編著)、京都大学学術出版会(2004)
  • Small-scale Livelihoods and Natural Resources Management in Marginal Areas of Monsoon Asia(共編著)、Bishen Singh Mahendra Pal Singh(2006)
  • 論集モンスーンアジアの生 態史 第1巻 生業の生態史(編著)、弘文堂(2008)
  • 地球圏・生命圏・人間圏-持続型生存基盤とは何か-(編著)、京都大学学術出 版会(2010)

受け持たれている講義: 開発生態論、持続型生存基盤研究の方法

趣味: 旅行、マッサージ

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